艦砲ぬ喰ぇー残さー

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艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぇーぬくさー)は、沖縄戦の記憶や戦後の暮らしを背景にした沖縄民謡として紹介される楽曲である。作詞・作曲は比嘉恒敏(ひが こうびん)。比嘉の娘4姉妹による民謡グループ「でいご娘」が歌い継いできたことで知られる。[1]

題名の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は、艦砲射撃の中を生き延びた人びとを「艦砲射撃の喰い残し」と表現する言い回しに由来するとされる。軽快な曲調に戦争体験や戦後の記憶を織り込み、平和への願いを託した作品として報じられている。[1]

制作背景

比嘉恒敏は、学童疎開船対馬丸や空襲などで家族を失った経験を持つと報じられている。[1][2] 琉球新報は、比嘉恒敏が「でいご娘」の生みの親であり『艦砲ぬ喰ぇー残さー』の作者であること、ならびに日本復帰翌年に米兵車との事故で命を失ったことを伝えている。[3] 琉球新報はまた、比嘉が1964年に娘4人を中心とする「でいご娘」として活動を開始し、本曲は1960年代後半に成立したとしている。[4]

レコード化

社会人類学者山内健治による論文では、1975年に比嘉の遺作『艦砲ぬ喰ぇー残さー』が、娘4人によってマルフクレコードから録音されたと記述されている。[5] 沖縄タイムスは、でいご娘による本曲が「レコード化から50年」を迎えたとするコラムを掲載している。[6]

歌碑

読谷村楚辺のユウバンタ内には本曲の歌碑が建立され、読谷村観光協会の案内では2013年6月23日に完成したとされる。歌碑の側のボタンを押すと歌が流れる仕組みがあるとも紹介されている。[7] 琉球新報は歌碑完成と除幕式を報じ、式典に「でいご娘」が参加したことを伝えている。[8] 歌碑建立に先立ち、実行委員会主催のチャリティー公演が行われたことも報じられている。[9] 琉球朝日放送(QAB)は、歌碑がコンサートの寄付金や自治体の助成などで建立されたと報じている。[10] また、読谷村広報(2013年8月号)にも歌碑建立の様子が掲載された。[11]

継承と公演

琉球新報は、比嘉の死後に『艦砲ぬ喰ぇー残さー』のレコードをヒットさせた「でいご娘」が積極的に活動したと報じている。[3] また、学校での平和学習の一環として本曲が披露された事例も報じられている。[2] 歌碑建立10周年の節目には、楚辺自治会主催の記念コンサートが開催された。[12]

研究

関連項目

脚注

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