ど根性ポプラ
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1960年のチリ地震、2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波で被災しながらも生き残った樹高約25 mのポプラである[1]。東日本大震災時の三陸町において津波被害が最も大きく、ほぼ壊滅した越喜来地区の中央にあって、津波に飲まれながらも倒れずに耐え抜いたことから、後に地区の人々より「ど根性ポプラ」と呼ばれるようになった[2]。

周囲には東日本大震災まで商店や民家が立ち並んでいたが、震災の津波により壊滅し、その後高台に集団移転した[3]。ど根性ポプラが立つ土地の所有者も、ポプラを残すことを条件に大船渡市に土地を引き渡した[1]。周辺一帯は広場として整備することが決まり、東屋やトイレ、ベンチなどが設置された「浦浜地区緑地広場」(愛称「ど根性ポプラ広場」)として開放された[4]。
一般的にポプラの寿命は約60年であるが、ど根性ポプラは2018年時点で樹齢80年を超えているとみられる[5]。
沿革
所在地
- 岩手県大船渡市三陸町越喜来杉下24[7]
