はいぱぁナイト
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誕生までの経緯
それまでの全曜日京都本社からの生放送を改め、平日枠を東京・原宿スタジオ[注釈 3]からの生放送とする形で始まったのが当番組である。当初は声優あるいは音楽関係者をパーソナリティーに雇用する目的があったようである。
当時団塊ジュニア世代の子供の数に注目してリスナー参加型のコーナーに力を入れたり[注釈 4]、頻繁に地元・京都などで握手会やバスツアー等を頻繁に行っていた。
なお、当番組開始当初は箱番組として『中村由真のマジカルYUMAランド』(1989年4月 - 1990年3月)、『工藤夕貴の必殺!おもしろ塾』(1989年4月から。1990年4月から『THE工藤夕貴ラジオとびます!とびます!!』に改題。1991年9月まで放送)が当番組中で放送されていた[注釈 5]。
人気大爆発へ
冨永みーなが担当する月曜以外は軒並み聴取率が低迷したため、頻繁にパーソナリティーが降板した。しかし、金曜担当となった日髙のり子[1]の意図せぬ形での大ブレイクをはじめとして、他の曜日もこれに触発される形で各自の個性を多くのリスナーにアピールすることに成功するなど、一気に番組全体の人気が大爆発し[注釈 6]、各曜日のパーソナリティー同士の交流も盛んになった。
この人気大爆発は「リスナーのプライベートの話」などを平気でパーソナリティーがぶっちゃけるなど、当時の1990年代のラジオ番組を模倣したことが功を奏したようである[注釈 7]。
番組終了へ
しかし、KBS京都がイトマン事件に端を発する経営危機に直面し、1994年9月に会社更生法の適用を申請、翌年4月に適用が決まった。
KBS京都が会社更生法申請に至ったのとほぼ同時期の1994年10月改編から、当番組中で3年ぶりの箱番組となる、ニッポン放送よりネットの「独占!!Jリーグエキスプレス」が放送開始された。また、それと同じくして当時火曜担当の杉原と近藤および金曜担当の日高によるダイヤルQ2サービスが開始された[注釈 8]。
田原音彦が降板したあたりから、枠の打ち切りが真剣に討議されるようになった。バブル経済最盛期に始まった『はいぱぁ』は翌年春の改編でまず金曜枠が打ち切られ『青春ベジタブル』も終了し、更に1996年春改編をもって『ハイヤングKYOTO (第二期)』に取って代わられた。