ゑびすや (木津温泉)
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| ゑびすや | |
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| ホテル概要 | |
| 正式名称 | リブマックスリゾート 夕日ヶ浦木津温泉 |
| 所有者 | リブ・マックス |
| 前身 | 丹後の湯宿 ゑびすや |
| 階数 | 1 - 4階 |
| 所在地 |
〒629-3241 京都府京丹後市網野町木津196-2 |
| 位置 | 北緯35度32分 東経135度11分 / 北緯35.533度 東経135.183度座標: 北緯35度32分 東経135度11分 / 北緯35.533度 東経135.183度 |
| 公式サイト | 公式サイト |
ゑびすや(えびすや)は、京都府京丹後市網野町木津の木津温泉にある旅館。現在の施設名はリブマックスリゾート 夕日ヶ浦木津温泉(リブマックスリゾートゆうひがうらおんせん)。旧称は丹後の湯宿 ゑびすや(たんごのゆやど えびすや)。4階建の新館、木造2階建の大正館からなる。
木津温泉の伝承
木津温泉は京都府で最も古い温泉であり[1]、奈良時代の天平年間(729年-749年)に行基が発見したとする伝承を持つ[2]。
創業
1914年(大正3年)の大火では木津温泉の浴舎2棟と旅館3棟を残して焼失したが、1928年(昭和3年)には新たな浴場が建てられた[3]。1931年(昭和6年)には丹後木津駅(現・夕日ヶ浦木津温泉駅)が開業し、1932年(昭和7年)には国鉄宮津線が全通した[3]。もともとゑびすやの経営者は引原峠で茶屋を営んでいたが、1930年(昭和5年)頃に木津温泉にゑびすや本館(後の大正館)を建てたとされる[3]。また、1927年(昭和2年)の北丹後地震で倒壊した小学校の材木を用いて建てたという説もある[3]。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月には敦賀陸軍病院木津村臨時分院が設置され、約100人の将兵が木津温泉を訪れてゑびすやなどを使用した[3]。
戦後の歴史

1958年(昭和33年)時点の木津温泉にはゑびすや、木津館、金平館、みなとやの4軒の旅館があり、旅館のほかに共同浴場があった[4]。1965年(昭和40年)6月から2か月ほど、小説家の松本清張がゑびすやの大正館に逗留し、推理小説『Dの複合』を執筆した[1]。ゑびすやの主人が清張に気づいて新聞社に電話すると、気づかないふりをして執筆に協力するよう要請された[5]。しかし、結局は清張に食事の内容を相談し、清張の要望に応じて気取らない食事を提供した[5]。清張はゑびすやを気に入り、一週間の滞在予定を2か月に延長して執筆に励んだ[5]。ゑびすやは小説内に「浦島館」として登場する[1]。
2006年(平成18年)10月には大正館の基礎をコンクリート造にするなどの修理・補強工事が行われた[3]。
リブランド
2024年(令和6年)11月29日、リブ・マックスが丹後の湯宿 ゑびすやをリブランドしてリブマックスリゾート夕日ヶ浦木津温泉が開業した[6]。2025年(令和7年)12月30日、敷地内にコンテナハウスのMAXCUBE 夕日ヶ浦木津温泉がオープンした。