アイツヴォル (海防戦艦)

From Wikipedia, the free encyclopedia

建造所 アームストロング・ホイットワース、ニューカッスル・アポン・タイン
アイツヴォル
1905年のアイツヴォル
1905年のアイツヴォル
基本情報
建造所 アームストロング・ホイットワース、ニューカッスル・アポン・タイン
運用者  ノルウェー海軍
艦種 海防戦艦
級名 ノルゲ級
艦歴
起工 1899年
進水 1900年6月14日
就役 1901年
最期 1940年4月9日、ノルウェーのナルヴィク港で沈没
要目
基準排水量 4,233t
全長 94.6m
最大幅 15.7m
吃水 5.4m
機関 蒸気機関
出力 4,500PS
速力 17.2ノット
乗員 最大270名、1940年228名、沈没時183名[1]
兵装 アームストロング 1896年型 20.8cm(44口径)単装砲2基
アームストロング 1875年型 15cm(45口径)単装砲6基
12ポンド:7.62cm(40口径)単装砲6基
オチキス 4.7cm(43口径)単装機砲4基
12.7mmコルト対空砲2基
7.92mmコルト対空砲4基
20mmエリコン対空砲2基
45.6cm水中魚雷発射管単装2基
[2]
テンプレートを表示

アイツヴォル (Eidsvold)ノルゲ級海防戦艦の2番艦で、ノルウェー海軍で運用された。1899年にニューカッスル・アポン・タインにあるアームストロング・ホイットワース社で建造され、アイツヴォルはドイツ軍のノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)の際、1940年4月9日にナルヴィク港でドイツの魚雷によって沈没した時には既に長い間時代遅れとみなされていた。

ニューカッスル・アポン・タインのアームストロング・ホイットワース社によるアイツヴォルの進水に関連して印刷された進水カード

アイツヴォルは、1905年に同君連合スウェーデン=ノルウェー)を解消ノルウェー語版英語版する過程での海軍再軍備の一環として建造され(これが一因となって、スウェーデンとの間に軍事的緊張が生じている)、姉妹艦のノルゲと共に40年以上ノルウェー海軍の中核を担った。艦名は1814年5月17日にノルウェー憲法が起草、調印された地であるアイツヴォル町にちなんで命名された。21cm(8.3インチ)砲を主砲として2門装備しており、当時はかなり強力な船とされていたが、ノルゲ級は新型の弩級戦艦が登場したためすぐに時代遅れとなった。ノルゲ級には同じクラスの船との戦闘に耐えるよう装甲帯に15cm(6インチ)、2基の砲塔に21cm(8.3インチ)のクルップ社による浸炭装甲を施されていた。アイツヴォルとノルゲは4,233トンで最大乗組員は270名であり、ノルウェー海軍で最大の船であった。

1911年6月、アイズヴォルドはデンマークを代表して、国王ジョージ5世の戴冠式を記念する観艦式に出るためイギリスまで航海した[3]

1912年、ノルウェーの海防戦艦を増強をするためにニダロス級の2隻が発注されたが、建造下の2隻は第一次世界大戦の勃発によりイギリス海軍に強制的に買収されたため、旧式だが強力なノルゲ級とハーラル・ホールファグレ級は時代遅れとなった後も長期間運用の活動を余儀なくされた。

最初で最後の戦闘

海防戦艦トルデンショルとアイツヴォルの模型。アイツヴォルは後方

1940年4月9日の朝、山岳猟兵連隊の将兵を輸送中の10隻の駆逐艦から成るドイツの部隊が霧と吹雪の中ナルヴィク港に侵入した。その天候にもかかわらず、艦隊はノルウェー船に発見されて直ちに目撃が報告され、アイツヴォルとノルゲは警告を受けた。2隻の艦上では戦闘準備が整えられた。砲塔には実弾が装填され、救命胴衣が乗組員に支給された。朝の4時15分頃、ドイツ軍はアイツヴォルを発見した。アイツヴォルに乗船中のオッド・イサーシェン・ヴィロッホ艦長はすぐに先頭のドイツ駆逐艦に対し信号灯で信号を送るよう命じたがドイツ側の応答はなく、彼は艦首前方に警告射撃を指示する前、艦尾に二旗信号を掲げて駆逐艦に停船を命じた。

ドイツ軍はできるだけ平和的にノルウェーを占領するよう命令を受けていたため、ドイツ駆逐艦ヴィルヘルム・ハイドカンプは停止し、交渉のため将校を派遣するとアイツヴォルに信号を送った。約200m(220ヤード)の距離から小型ランチでゲルラッハ中佐はアイツヴォルに移動した。ゲルラッハと信号兵はアイツヴォルの後部甲板で副長に迎えられ、ウィロッホ艦長と対談するため艦橋へ案内された。その頃、アイツヴォルの砲兵は21cm砲と15cm砲の照準をドイツ駆逐艦に入れ続けていた。距離が短いため砲弾の弾道は平坦になり、装甲の薄い船に攻撃が簡単に命中すると考えられていた。

アイツヴォルの乗組員の軍服

艦橋で、ゲルラッハはドイツ軍は友好のために来訪し、平和的に降伏すべきだとウィロッホの説得を試みた。ウィロッホは抵抗する義務があると反論したが、検討のため10分の中断を頼んだ。しかし降伏を検討する代わりにウィロッホはこの時間を上官やノルゲの艦長との連絡に使い、ドイツ艦隊を攻撃をするつもりだと伝えた。その間、別のドイツ駆逐艦がアイツヴォルの後へ回り込み、700m(770ヤード)の距離まで近づき魚雷発射の準備を進めた。

ゲルラッハは再びウィロッホに降伏するよう説得を試みたが、二度目も拒否された。彼はアイツヴォルの甲板を去る際、赤色の信号弾を発射し、ノルウェー軍は戦う意思があると示した。この時、ウィロッホ艦長は「På plass ved kanonene. Nå skal vi slåss, gutter!」(砲へ集合せよ。戦うぞ、諸君!)と叫びながら艦橋に向かった。アイツヴォルは一番近い駆逐艦に向かって加速する一方、砲兵指揮官は左舷砲(15cm砲3門)を発射するよう命じた。

しかしドイツ軍は旧式の海防戦艦に魚雷を4本発射し、ノルウェー側の情報によれば2本か3本が左舷砲を発射できるようになる前に命中した。後部砲塔の下に1本、中央部に1本、艦首に1本が命中した。魚雷が艦上の弾薬庫の一つに引火したと思われ、アイツヴォルは真っ二つに吹き飛ばされ、プロペラが回転したまま数秒で沈没した。乗組員6名のみが救助され、175名は凍った海で死亡した。

残骸

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI