1864年、ヴィースバーデンで生まれた。インド学・サンスクリット・比較言語学を学び、1886年にヴュルツブルク大学の博士の学位を取得した後、1891年以降ライプツィヒ大学でインド・東アジアの言語の私講師として働き、研究の中心を中国研究に移した。1897年に準教授、1920年に教授に昇進した。
生前あまり著作を公刊せず、大量の遺稿を残した。教え子のブルーノ・シンドラーが1926年の『Asia Major』誌にその一覧を載せている[2]。
また、コンラーディは多くの学者を育てた。林語堂が博士論文を書いたときの指導教官はコンラーディだった[3]。