アカルチュレーション
異なった文化をもった人びとが接触した結果もともとの文化型に変化を起こす現象
From Wikipedia, the free encyclopedia
アカルチュレーション(英語: acculturation)または文化変容(ぶんかへんよう)は、「異なった文化をもった人びとの集団どうしが互いに持続的な直接的接触をした結果、その一方または両方の集団のもともとの文化型に変化を起こす現象」[1]のこと。

1935年、アメリカ合衆国の社会科学調査会議において、メルヴィル・ハースコヴィッツ、ラルフ・リントン、ロバート・レッドフィールドの3人の人類学者によって定義された言葉・概念。日本語では「文化の接触変化」「文化触変」「文化変容」などと訳される。
アカルチュレーションには、反作用の「コントラアカルチュレーション(contra-acculturaton)」がある。「反文化変容運動」と訳され、「土着運動(nativistic movement)」「千年王国運動(millenarian movement)」などとも呼ぶ。
少数民族の移住現象を文化変容理論で解釈しようとする学者もいるが、この大前提の正確性は確認されていない[2]。
近年の異文化心理学や移民研究では、アカルチュレーションは受入社会への一方向的な同化だけでなく、出身文化の維持と主流社会との関係形成という二つの軸の組み合わせとして説明されることが多く、Berryの類型では、出身文化を維持しながら他集団とも関係をもつ「統合」、出身文化の維持より主流社会への参加を優先する「同化」、出身文化を維持し主流社会との関係を限定する「分離」、どちらにも十分に関与しない「周縁化」が区別され、この区分は同化をアカルチュレーション全体の同義語ではなく複数ありうる結果の一つとして位置づけるため、文化接触を「どちらの文化が吸収されたか」という線形の変化だけでなく、少数派の文化的アイデンティティの維持、主流社会への参加、受入社会の制度的包摂を分けて検討する枠組みを与える[3]。異文化接触は、集団レベルでは制度・慣行・集合的活動の変化を、個人レベルでは日常行動や心理的ストレスの変化をもたらしうるため、適応の指標も心理的ウェルビーイングと社会文化的能力に分けて扱われ、統合は出身文化とより大きな社会の双方に関与する状態として説明されるので、アカルチュレーションを記述する際には、事例列挙だけでなく、接触する集団の力関係、受入側の政策、個人が複数文化にどう関与するかを区別する必要がある[4]。
- アカルチュレーションの例
- 日本の神仏習合
- インディアンの異なる部族の間に、鳥の羽毛を頭に着ける習慣の広まり
- コロンブスの新世界発見による影響(コロンブス交換)
- 1636年に満州族が明を滅ぼし清を起こして漢民族を支配した際の辮髪の強制
- 1820年以降、アメリカの宣教師が持ち込んだ洋服が定着し、ハワイにムームーが生まれたこと
- 重さの単位や時刻の数え方など、度量衡の世界標準化
- 地方・「僻地」への道路・ライフラインの浸透
- 無文字文化への文明の浸透
- コントラアカルチュレーションの例
- インディアンのゴーストダンス(幽霊踊り)- バッドランズ国立公園参照
- メラネシアのカーゴカルト(積荷崇拝)
この他、19世紀の市場経済化による欧米の変化を、インドの村落共同体の破壊やインディアン居留地など欧米以外の地域におけるアカルチュレーションと同質であるとする指摘もある[5]。