アキッレ・テラッチャーノ
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バジリカータ州のムーロ・ルカーノで生まれた[1]。父親のニコラ・テラッチャーノ(Nicola Terracciano)は植物学者でカゼルタ宮殿のイギリス庭園の園長などを務めた人物である[2]。ナポリ大学の医学部に入学するが、植物学に転じ1884年に卒業した。ローマの植物園で助手を務めた後、パレルモ大学のアントニーノ・ボルツィ(Antonino Borzì)のもとで研究を続け1896年に教授資格を得た。1906年にサッサリ大学の非常勤教授に採用され、1917年にシエナ大学に採用されたがその年カゼルタで没した。
1892年にエリトリアの紅海海岸のズラ湾など海底調査を行ったイタリア海軍の調査船Scyllaに、ローマ王立植物研究所(Regio Istituto Botanico di Roma)の職員、パッピ(Agostino Pappi)と乗船し、紅海沿岸の調査を行った。この記録は1894年にイタリア地理学会の会誌に発表された。2人が集めたエリトリアの植物の標本は4000点に達し、フィレンツェの熱帯標本館(Erbario Tropicale di Firenze:現在のCentro Studi Erbario Tropicale dell'Università)に収められた。