地元ロサンゼルスの高校ではディフェンシブエンド、ラインバッカー、ワイドレシーバーとしてプレーした[1]。UCLAに進学、アウトサイドラインバッカーとして28試合に先発出場するなど、37試合に出場し、183タックル(29.5ロスタックル)、14サック、7ファンブルフォース、4ファンブルリカバー、6インターセプト、2リターンTDをあげた[1]。
1年次の2008年には、先発3試合を含む12試合に出場し、40タックル、3サック、1ファンブルフォースをあげて、パシフィック10カンファレンスのフレッシュマンファーストチームに選ばれた[1]。
2年次の2009年には、全13試合でストロングサイドラインバッカーとして先発出場し、大学タイ記録となるシーズン2インターセプトリターンTDをあげた。シーズン最後の4試合で30タックル、4サック、3インターセプト(1リターンTD)、1ファンブルリカバーTDをあげた[1]。
2010年9月18日、APランク23位のヒューストン大学戦でもケイス・キーナムからのインターセプトでゴール前から77ヤードをリターンした[2]。彼の活躍もありチームは、2008年以来となる上位ランク校を撃破した。9月25日には、敵地オースティンでのAPランク7位のテキサス大学戦でも34-12での番狂わせに重要な役割を担った。この試合で彼は1インターセプト、7タックル、1ファンブルフォース、1サックをあげた。この年彼はウォルター・キャンプフットボール財団からオールアメリカセカンドチームに選ばれるとともに、バトカス賞のファイナリスト5人の1人にも選ばれた[1]。
3年次の2010年シーズン終了後、NFLドラフトにアーリーエントリーを行った[3]。
2011年のNFLドラフトでは当日招待された25人の1人であり[4]、2巡目全体39位でテネシー・タイタンズから指名された[5]。
2012年にはチームのリーディングタックラーになった他、シーズン後半9試合で6サックをあげた[6]。
2013年8月17日のシンシナティ・ベンガルズとのプレシーズンゲームで足首を負傷し、ロッカールームにさがった[6]。
2014年、シーズンオフに両膝の膝蓋腱を手術した[7]。レイ・ホートンディフェンスコーディネーターの就任で、それまで4-3ディフェンスのアウトサイドラインバッカーとしてプレーして43試合に先発出場していた彼は、3-4ディフェンスに変更されたこの年、出場機会が減少し、10月21日、タイタンズはエイヤーズを翌年のドラフト7巡指名権と合わせてニューイングランド・ペイトリオッツの6巡指名権とトレードした[8]。
ペイトリオッツ移籍後、2試合連続でサックを記録[9]、9試合に出場した[10]。ペイトリオッツはこのシーズン、第49回スーパーボウルを制した。
2015年3月12日、セントルイス・ラムズと2年600万ドル(300万ドルの保証)で契約を結んだ[10]。