インディアナポリス・コルツ

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創設1953年1月23日 (72年前) (1953-01-23)
NFLコースタル
インディアナポリス・コルツ
Indianapolis Colts
創設 1953年1月23日 (72年前) (1953-01-23)
NFL参入 1953年シーズン
所属地区
  • NFL(1953-現在)
    • AFC(1970-現在)
南地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
コースタル地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  スピードブルー
 
  フェイスマスクグレー
  アンビルブラック
ユニフォーム
チーム名
  • インディアナポリス・コルツ(1984-現在)
    • ボルチモア・コルツ(1953-1983)
ホームタウン
インディアナポリス・コルツの位置(アメリカ合衆国内)
1984-現在
1984-現在
1953-1983
1953-1983

インディアナ州インディアナポリス(1984-現在)
メリーランド州ボルチモア(1953-1983)

ルーカス・オイル・スタジアム(2008-現在)
RCAドーム
 フージャー・ドーム
(1984-2007)
メモリアル・スタジアム(1953-1983)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (7回)
AFC
地区優勝 (13回)
NFLコースタル
旧AFC東地区
AFC南地区
ワイルドカード(9回)
プレーオフ進出(22/60回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
ワイルドカード
球団組織
オーナーカーリー・アーセイ=ゴードン、 ケイシー・フォイト 、カレン・ジャクソン
GMクリス・バラード
ヘッドコーチシェーン・スタイケン

インディアナポリス・コルツ英語: Indianapolis Colts、略称: IND)は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリスに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している。ホームスタジアムはルーカス・オイル・スタジアム。本部と練習場は、同じインディアナポリスのインディアナ・ファームビューロ・フットボールセンターに位置している。

1947年から1950まで存在したボルチモア・コルツを直接の前身として、1953年メリーランド州ボルチモアを本拠地とする同名のボルチモア・コルツ(Baltimore Colts)として創設された。1970年には、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)のNFL合併に伴い結成されたアメリカン・フットボール・カンファレンスに所属している。1984年に本拠地をボルチモアからインディアナ州インディアナポリスへ移転し、現在の名称となった。

スーパーボウルにはボルチモア時代の第3回ニューヨーク・ジェッツ(当時、AFL)に敗れたのち、第5回(対ダラス・カウボーイズ)と、インディアナポリス移転後の第41回(対シカゴ・ベアーズ)の2度制覇している。

歴史

NFLには、ボルチモア・コルツという名称のチームが2つ存在していた。初代コルツは、1946年のAll-America Football Conference (AAFC) 創設時のチームのひとつで、1950年のAAFC合併時にNFLに加盟したが、そのシーズン後に解散している。

現在のインディアナポリス・コルツは、長い旅を経て今の場所に落ち着いた、と言える。NFLの公式記録としては、コルツは、1953年にボルチモアで発足したことになっている。1953年、NFLは、ボルチモア市に旧ダラス・テキサンズのフランチャイズを与えた。このフランチャイズは、コルツ発足までに、ボストン・ヤンクス (1944-48)、ニューヨーク・ブルドッグズ (1949)、ニューヨーク・ヤンクス (1950-51)、ダラス・テキサンズ (1952) と移動してきたものである。

ボルチモア・コルツ

一方、初代ボルチモア・コルツは、1946年にAAFCに創設されたマイアミ・シーホークスを前身とし、同チームが1947年にボルチモアに移転して誕生した。このコルツは1950年にNFLに加盟し、シーズンを1勝11敗で終えた。同チームは1950年のシーズン後に解散したが、ファンクラブマーチングバンドなどの支援団体は活動を続け、チームの復活を働きかけた。詳しくは、en:Baltimore Colts (1947-50) を参照。

コルツの初代QBであるジョニー・ユナイタス

1953年、キャロル・ローゼンブルームが、新生NFLボルチモア・コルツの筆頭オーナーとなった。1958年プロフットボール殿堂入りヘッドコーチ、ウィーブ・ユーバンクの下、同じく殿堂入りクォーターバックのジョニー・ユナイタス率いるコルツは、ヤンキースタジアムでのNFLチャンピオンシップで、ニューヨーク・ジャイアンツを23-17と下した。延長戦となったこの試合は、「史上最高の試合」とも称される[1][2])。コルツは翌1959年にもジャイアンツに31-16と勝利し、NFLチャンピオンシップを獲得。1960年代前半、コルツはNFL上位チームの地位を堅持していたが、1964年のNFLチャンピオンシップではクリーブランド・ブラウンズの前に0-27と敗れた。

1967年、コルツはレギュラーシーズンの最終週を無敗のまま迎えたが、ロサンゼルスでのロサンゼルス・ラムズ戦で10-34と敗れた。コルツ、ラムズ共に11勝1敗2分けであったため、この直接対決で勝利したラムズが西カンファレンス海岸地区の1位となり、コルツはプレイオフに進出することができなかった(両チームの同シーズン初対決は、ボルチモアのホームで24-24の引き分けに終わっている)。

1968年、シーズン成績13勝1敗のコルツは、ブラウンズとの再戦のチャンスを得、NFLチャンピオンシップゲームで34-0とブラウンズを下した。このレギュラーシーズンの成績とブラウンズ戦の圧勝により、コルツは「史上最も偉大なフットボール・チーム」とマスコミから称されることになった。ボビー・ボイド (DB)、マイク・カーティス (LB)、ジョン・マッキー (TE)、トム・マッテ (RB)、フレッド・ミラー (DL)、アール・モラル (QB)、ウィリー・リチャードソン (WR)、ボブ・ビューゲル (OL) といったプロボウル出場メンバーを擁するコルツは、第3回スーパーボウル(公式に「スーパーボウル」と呼ばれることになった初の大会)に出場した。スプレッドの賭けではコルツが17点有利とされたがこの試合では番狂わせが待っていた。ジョー・ネイマスマット・スネルの率いるAFLチャンピオンニューヨーク・ジェッツに7-16と敗れた。この試合では試合途中から怪我のため先発出場しなかったジョニー・ユナイタスも交代出場したが逆転はならなかった。皮肉にも、このときのジェッツのヘッドコーチは、かつてコルツを2度のNFLチャンピオンに導いたウィーブ・ユーバンクであった。

1970年、NFLとAFLの統合された際にクリーブランド・ブラウンズピッツバーグ・スティーラーズと共にボルチモア・コルツはAFCに移り、オークランド・レイダースを27-17と下してAFCチャンピオンシップを獲得した。コルツは、統合後最初のスーパーボウル、第5回スーパーボウルでNFCのダラス・カウボーイズと戦い、ジム・オブライエンのフィールドゴールで16-13と勝利した。

1972年7月13日、ローゼンブルームとロバート・アーセイは、コルツとロサンゼルス・ラムズの所有権を交換したが、両チームの本拠地は変わらなかった。コルツは1970年代、さらに4回のプレイオフ出場を成し遂げた。1971年はワイルドカードで出場、1975年から1977年にかけて3年連続でAFC東地区優勝を果たした。この3年間、チームを引っ張ったのは、NFLで最も優秀なディフェンシブライン (通称「サック・パック」)だった。しかし、1978年以降、チームは9シーズンに及ぶ低迷期に入る。1978年最初の2試合でコルツは無得点に終わった。これはNFLチームとして初の不名誉な記録であった。1981年のチーム最大の課題は、ディフェンスだった。コルツはNFL記録となる533失点を喫し[3]、サック数は史上最低の13、パントリターン数は近年のNFL最低記録の12だった。翌年も、オフェンスが崩壊していた。1982年11月28日、リッチ・スタジアムでのバッファロー・ビルズ戦で、コルツのオフェンスチームは、一試合を通じて一度も敵陣に攻め込むことができなかった。18年後の2000年まで、NFLで同様の記録が作られることはなかった。1982年は、57日間に及ぶ選手のストライキのために9試合しか行われず、コルツは0勝8敗1分けでこのシーズンを終えた[注 1]

インディアナポリスへの移転

スタジアム老朽化に伴い、チームオーナーのロバート・アーセイは新スタジアム建設を求めたが、ボルティモア市との交渉ははかどらず、アーセイはひそかにインディアナポリス市への移転交渉を進めた。この移転計画を知ったメリーランド州議会は、チームの所有権をボルチモア市に強制的に移転する法案を提出した。ここに至ってアーセイは密かに移転を決意し、1984年3月29日の夜中に大手引越会社メイフラワー・トランジットのトラック数台で、秘密裏にインディアナポリスに荷物を運び出し、移転を決行した。ボルティモア市との間に訴訟が発生したが、1986年までには和解した。ストライキが再び行われた1987年にチームはロサンゼルス・ラムズバッファロー・ビルズとの三角トレードによってエリック・ディッカーソンを獲得した。この年ディッカーソンの活躍もありチームは10年ぶりに地区優勝を果たしプレーオフに出場した。

1988年ドラフト3巡目でQBクリス・チャンドラーを指名した。同年、デンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールでは、MNF記録となる55得点をあげた。それまでの記録は1982年サンディエゴ・チャージャーズがあげた52得点であった[4]

1990年にはNFLドラフト全体1位でQBジェフ・ジョージを獲得したがこの指名権を得るためにクリス・ヒントンアンドレ・ライズンアトランタ・ファルコンズに放出した。1991年、チームは1勝15敗のNFLワーストの成績に終わり1992年のドラフトでは全体1位、2位指名権を得てスティーブ・エントマンクウェンティン・コリャートの指名を果たした。1994年にドラフト全体2位で獲得したマーシャル・フォーク最優秀新人選手に選ばれる活躍を見せ、翌1995年には9勝7敗の成績ながらQBジム・ハーボーやフォークの活躍でAFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズに16-20と敗れた。1996年も地区3位ながらワイルドカードでプレーオフに出場したが初戦でスティーラーズに敗れた。1997年は3勝13敗の地区最下位で終えたが、1998年のドラフト全体1位でペイトン・マニングを獲得した。

ペイトン・マニングの時代

のちにNFLの顔とも言うべき存在となるQBのペイトン・マニング

1998年も3勝13敗の地区最下位に終わったが1999年、チームは13勝3敗と飛躍的に成績を改善させて地区優勝を果たした。1999年以降チームは2001年を除き毎年プレーオフ出場を果たす強豪となった。2002年からはタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチだったトニー・ダンジーがヘッドコーチに就任、弱点だった守備が改善されていった。

2003年にはAFC南地区のタイトルを獲得し、プレーオフではデンバー・ブロンコスに41-10、カンザスシティ・チーフスに38-31と勝利したがAFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに14-24で敗れた(この試合では審判が機能していなかったという批判がなされた。試合全体を通じて7回しかペナルティが宣告されず、そのうちの6回はスナップ前にコールされたものだった。この試合でペイトリオッツCBタイ・ローが行った接触プレイは翌年には禁止されタイ・ロー・ルールとも呼ばれる)。

2004年シーズン、開幕戦でペイトリオッツに敗れたが4連勝、バイウィーク後に連敗したがシーズン終盤に8連勝を果たしAFC南地区のタイトルを手にした。第16週のホームでのプレーオフ出場がかかったサンディエゴ・チャージャーズ戦時点でQBのペイトン・マニングはシーズン48TDパスというダン・マリーノの記録にあと一歩と迫っていた。16-31とリードされた場面でドミニク・ローズが88ヤードのキックオフリターンTDをあげて8点差に追い上げ、残り時間4分47秒、4ダウン4 で自陣25ヤードラインからの局面でパントではなくギャンブルを選択し成功、最後はWRブランドン・ストークリーへのシーズン49回目のTDパスが成功し、ダン・マリーノの記録を破った。2ポイントコンバージョンも成功し31-31の同点となり試合は延長にもつれこんだ。コルツはマイク・バンダージャットFGで34-31の勝利を収めプレーオフ出場が決まった。 ワイルドカード・プレーオフではホームで49-24と勝利する。この試合、マニングは33回中27回のパス成功で4TD、インターセプトは1回のみ、457ヤード獲得という驚異的な記録を残したが翌週のディビジョナル・プレーオフでペイトリオッツの前に3-20と敗れた。レギュラーシーズンでトップクラスの得点力を誇ったコルツオフェンスは相手ディフェンスにことごとく阻まれてシーズン唯一タッチダウンをあげられない試合となった。ディフェンスもペイトリオッツのボールコントロールオフェンスを止めることができず、7分を超えるドライブを3回許し、この3回で合計17点を奪われる結果に終わった。

2005年シーズンでは開幕13連勝を果たしたが第15週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に敗れしかも多くの選手が怪我をしてしまった。翌週のシアトル・シーホークスにも敗れた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズと対戦したが最後の最後までオフェンスラインがスティーラーズのLB陣のブリッツに対応しきれずマニングが思ったようなプレイをすることができなかった。しかし後半残り1分21秒相手RBジェローム・ベティスがボールをファンブル、それをコルツCBニック・ハーパーがリカバーし再度攻撃の機会が与えられた。残りわずかの時間でオフェンスはFG圏内までボールを進めたがKマイク・ヴァンダージャットが46ヤードのFGを失敗しシーズンが終わった。

2006年シーズン、2年連続の9連勝もあり地区優勝を果たした(AFC第3シード)。シーズン初めから故障者に悩まされ、特にディフェンスの先発選手4人がシーズン序盤でシーズン絶望になるなど、ディフェンスはがたがたになり、第14週のジャクソンビル・ジャガーズ戦ではランだけで375ヤードを許すという有様であった。 しかしポストシーズンでFSボブ・サンダースが戻るなどコルツディフェンスは息を吹き返し、ワイルドカードプレーオフではカンザスシティ・チーフスのRBラリー・ジョンソンのランを終始押さえ23-8で勝利、ディビジョナル・プレーオフではボルチモア・レイブンズのランなどを全般的に押さえ15-6で勝利した。

ホワイトハウスに招待された第41回スーパーボウル優勝メンバー

AFCチャンピオンシップでは2年連続敗れているペイトリオッツと対戦した。試合は前半一時3-21にまで点差を広げられたもののFGで3点を返しハーフタイムを6-21で折り返した。後半の最初のドライブでマニングのQBスニークによるTDで締めくくると、次のペイトリオッツの攻撃を3回で止めた。続くオフェンスではダン・クレッコへのTDパス、2ポイントコンバージョンが成功し同点となった。その後タッチダウンを奪われ21-28となった。第4Q残り13分24秒、コルツRBドミニク・ローズがエンドゾーン手前でファンブルしたがそれをCジェフ・サタデーがリカバー、TDをあげた。オフェンスラインマンが2回(ペイトリオッツのRTローガン・マンキンズとコルツのCジェフ・サタデー)タッチダウンをあげる試合はプレーオフ史上初のことであった。その後ペイトリオッツ、コルツともにFGで追加点を重ね31-34で後半2分17秒からコルツのオフェンスとなった。残り1分でのRBジョセフ・アダイのTDランで38-34と逆転し、最後ペイトリオッツの攻撃ではトム・ブレイディのパスをCBマーリン・ジャクソンがインターセプト、コルツが勝利した。最大18点差での逆転はチャンピオンシップ史上最大の逆転劇となった。第41回スーパーボウルでは最初のキックオフリターンでデビン・ヘスターにTDを決められたり、アダム・ビナティエリのFG失敗などがあったが、第4Qにケルビン・ヘイデンが相手QBレックス・グロスマンのパスをインターセプトするなど、ベアーズに29-17で逆転勝利し、36年ぶり2回目の優勝を達成した。

スーパーボウル優勝後も連続してプレーオフに出場していたが2年連続プレーオフ初戦で敗れ、2008年シーズン終了と共にトニー・ダンジーヘッドコーチは辞任した。

2009年ジム・コールドウェルがヘッドコーチに就任し、オフェンスコーディネーターも退団したためコルツの栄光もここまでと予想したアナリストも多かったがチームは第16週にニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕14連勝を果たした。この試合第3Q途中からチームはマニングなどの主力選手をベンチに下げた後に逆転負けを喫したがジム・アーセイオーナー、コールドウェルヘッドコーチはスーパーボウル制覇こそが大事でありシーズン16戦全勝にはこだわっていないことを改めて強調した。その後、14勝2敗でレギュラーシーズンを終え、AFC第1シードでプレーオフに進出。順調に勝ち上がりAFCチャンピオンシップゲームにおいてニューヨーク・ジェッツを30-17で下し第44回スーパーボウルへの進出を果たした。しかし、スーパーボウルではNFC代表のニューオーリンズ・セインツに31-17で敗れ、3年ぶりのスーパーボウル制覇は成し得なかった。

2010年、最終週に地区優勝を決めて、9年連続のプレーオフ出場となり、ダラス・カウボーイズ1975年から1983年に作ったNFL記録に並んだ[5]。しかし2011年1月8日、ワイルドカードプレーオフでニューヨーク・ジェッツに敗れた。

2011年シーズンは227試合に連続先発出場していたペイトン・マニングが開幕から欠場、急遽ケリー・コリンズを獲得したが[6]、コリンズも故障しシーズン絶望となり[7]カーティス・ペインターが先発QBとして起用されたが連敗を止められず、ダン・オーロフスキーが先発QBとなった。オーロフスキーが先発に昇格して3戦目でシーズン初勝利、翌週のヒューストン・テキサンズ戦でも連勝した[8]。2012年のNFLドラフト全体1位指名権が獲得できるため、シーズン終盤ファンの中にはチームの敗戦を望む声も見られた。最終戦に敗れ2勝14敗、シーズン終了後、ジム・ボリアン副社長、クリス・ポリアンGM、ジム・コールドウェルヘッドコーチが解任され[9]、ボルチモア・レイブンズのディフェンスコーディネーター、チャック・パガーノを新ヘッドコーチとして迎えた[10]。3月にチームはペイトン・マニングを解雇、その後ダラス・クラークジョセフ・アダイゲイリー・プラケットらを解雇した[11]

マニング退団以降

QBのアンドリュー・ラック

2012年のドラフト全体1位でスタンフォード大学のQBアンドリュー・ラックを指名した。10月1日、パガーノヘッドコーチが急性骨髄性白血病にかかっていることが明かされ、オフェンスコーディネーターのブルース・エリアンスが暫定ヘッドコーチに就任した[12]。12月24日、3ヶ月ぶりにパガーノヘッドコーチは復帰した。パガーノが不在の間、チームは2年ぶりのプレーオフ進出を決めている[13]

その後は2013年2014年と連続して地区優勝を果たしたが、2015年2016年と連続してプレーオフ出場を逃し、2017年1月21日にはGMのライアン・グリグソンが解雇された。2017年もまた大きく負け越してプレーオフを逃し、パガーノは解任された。後任にはフィラデルフィア・イーグルスのOCであったフランク・ライクが就任した。2018年には最終戦で勝ってワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦は勝利したがディビジョナルプレーオフでカンサスシティ・チーフスの前に敗退した。

2019年8月24日、プレシーズン中にアンドリュー・ラックが引退を発表した。2019年はプレーオフを逃した。シーズン後、ロサンゼルス・チャージャースよりフィリップ・リバースが移籍した。

2020年4月3日、インディアナポリス移転後から使い続けていた「COLTS」のロゴマークを変更した。2020年シーズンはワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦で敗退した。リバースは2021年1月20日引退を表明した[14]。同年2月18日、フィラデルフィア・イーグルスからQBカーソン・ウェンツをトレードで獲得した[15]

2021年は最終戦でリーグ最下位のジャクソンビル・ジャガーズに敗れて地区二位で終わり、プレーオフを逃した。2022年3月9日、ワシントン・コマンダーズとの間で、ウェンツと2022年のドラフト2巡目を渡す代わりに、2022年のドラフト3巡目、2023年のドラフト3巡目を譲渡されるトレードが成立した[16]。2022年3月21日、アトランタ・ファルコンズとの間で2022年のNFLドラフト3巡目指名権を渡す代わりにQBマット・ライアンを得るトレードを成立させた[17]

2022年シーズン途中、3連敗を喫し3勝5敗1分となった時点でHCのフランク・ライクは解雇され、ジェフ・サタデーが暫定HCとなった[18]。NFL選手引退後はテレビ放送のコメンテーターを務めたのみでNFLのコーチ経験の全くないサタデーの起用は論議を呼んだ。第15週にはミネソタ・バイキングス相手に前半を33-0とリードしながら、NFL史上最大の逆転負けを喫して地区優勝を見せられた。プレーオフは逃した。2023年2月14日、元イーグルスOCのシェーン・スタイケンがHCに起用された。2023年3月、マット・ライアンを放出した。

2023年シーズンは開幕から新人QBのアンソニー・リチャードソンを起用するも10月にシーズン終了につながる負傷を負い、ベテランのガードナー・ミンシューが代わった。最終週までプレーオフの可能性を残したが敗退して逃した。

2024年シーズンは第17週でプレーオフ進出の可能性がなくなった。

2025年5月、オーナーのジム・アーセイが死去し、3人の娘達が共同でオーナー職を継いだ。プレーオフ争い中の第14週の試合でQB1のダニエル・ジョーンズがシーズン終了となる負傷を負ったため、4年間引退していたフィリップ・リバースと再契約し、シアトル・シーホークス戦で先発させた[19]。だがリバースのもとでも連敗を止められず、8勝2敗の好スタートの後は7連敗を喫して地区3位となりプレーオフ進出はならなかった。

2025年シーズン

コルツ の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区Con平均得点平均失点
2025 レギュラーシーズン敗退8位3位890.4712-46-627.424.2
2024 レギュラーシーズン敗退9位2位890.4713-37-522.225.1
2023 レギュラーシーズン敗退10位3位980.5293-37-523.324.4
2022 レギュラーシーズン敗退15位3位4121.2651-4-14-7-117.025.1
2021 レギュラーシーズン敗退8位2位980.5293-37-526.521.5
2020 ワイルドカード敗退7位2位1150.6884-27-528.222.6
2019 レギュラーシーズン敗退10位3位790.4383-35-721.923.3
2018 ディビジョナル敗退6位2位1060.6254-27-527.122.1
2017 レギュラーシーズン敗退14位3位4120.2502-43-916.425.2
2016 レギュラーシーズン敗退10位3位880.5003-35-725.724.5
2015 レギュラーシーズン敗退9位2位880.5004-26-620.825.5

[20]

2025年シーズンのコルツの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ ラムズ バッカニアーズ ライオンズ イーグルス
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス コマンダース
3位 ブロンコス ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス パンサーズ パッカーズ カウボーイズ
4位 レイダース タイタンズ ブラウンズ ペイトリオッツ 49ers セインツ ベアーズ ジャイアンツ

 :1度対戦  :2度対戦

インディアナポリス・コルツ 2025
米国日本対戦相手スコア勝敗開催地備考
19/7(日)9/8(月)マイアミ・ドルフィンズ33-81–0ルーカス・オイル・スタジアムR
29/14(日)9/15(月)デンバー・ブロンコス29-282–0ルーカス・オイル・スタジアムR
39/21(日)9/22(月)@テネシー・タイタンズ41-203–0ニッサン・スタジアムR
49/28(日)9/29(月)@ロサンゼルス・ラムズ20-273–1SoFiスタジアムR
510/5(日)10/6(月)ラスベガス・レイダース40-64–1ルーカス・オイル・スタジアム
610/12(日)10/13(月)アリゾナ・カージナルス31-275–1ルーカス・オイル・スタジアム
710/19(日)10/20(月)@ロサンゼルス・チャージャーズ38-246–1SoFiスタジアムR
810/26(日)10/27(月)テネシー・タイタンズ38-147–1ルーカス・オイル・スタジアム
911/2(日)11/3(月)@ピッツバーグ・スティーラーズ20-277–2アクリシュア・スタジアムR
1011/9(日)11/10(月)アトランタ・ファルコンズ31-258–2ドイツ ベルリン・オリンピアシュタディオン
11Bye Week
1211/23(日)11/24(月)@カンザスシティ・チーフス20(OT)238–3アローヘッド・スタジアムR
1311/30(日)12/1(月)ヒューストン・テキサンズ16-208–4ルーカス・オイル・スタジアム
1412/7(日)12/8(月)@ジャクソンビル・ジャガーズ19-368–5エバーバンク・スタジアム
1512/14(日)12/15(月)@シアトル・シーホークス16-188–6ルーメン・フィールド
1612/22(月)12/23(火)サンフランシスコ・49ers27-488–7ルーカス・オイル・スタジアムR
1712/28(日)12/29(月)ジャクソンビル・ジャガーズ17-238–8ルーカス・オイル・スタジアムR
181/4(日)1/5(月)@ヒューストン・テキサンズ30-388–9NRGスタジアムR
AFC南地区 2025
チーム勝率DIVCON総得点総失点平均得点平均失点SOVSOS
(3)ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-247433627.919.8.425.478
(5)ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-240429523.817.4.441.522
インディアナポリス・コルツ890.4712-46-646641227.424.2.382.540
テネシー・タイタンズ3140.1760-62-1028447816.728.1.275.574
AFC 2025
順位チーム地区勝率DIVCONSOVSOS
地区優勝
1デンバー・ブロンコス西1430.8245-19-3.378.422
2ニューイングランド・ペイトリオッツ1430.8245-19-3.370.391
3ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-2.425.478
4ピッツバーグ・スティーラーズ1070.5884-28-4.453.503
ワイルドカード
5ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-2.441.522
6バッファロー・ビルズ1250.7064-29-3.412.471
7ロサンゼルス・チャージャーズ西1160.6475-18-4.425.469
8インディアナポリス・コルツ890.4712-46-6.382.540
9ボルチモア・レイブンズ890.4713-35-7.408.507
10マイアミ・ドルフィンズ7100.4123-33-9.378.488
11シンシナティ・ベンガルズ6110.3533-35-7.451.521
12カンザスシティ・チーフス西6110.3531-53-9.363.514
13クリーブランド・ブラウンズ5120.2942-44-8.418.486
14ラスベガス・レイダース西3140.1761-53-9.451.538
15ニューヨーク・ジェッツ3140.1760-62-10.373.552
16テネシー・タイタンズ3140.1760-62-10.275.574
タイブレーク
・ ブロンコス・ペイトリオッツ:共通の対戦相手との勝率によりブロンコスが上位
・ テキサンズ・ビルズ:直接対決での勝利によりテキサンズが上位
・ コルツ・レイブンズ:カンファレンス内勝率によりコルツが上位
・ チーフス・ベンガルズ:カンファレンス内勝率によりベンガルズが上位
・ レイダース・ジェッツ・タイタンズ:カンファレンス内勝率によりレイダースが上位
・ ジェッツ・タイタンズ:勝利相手の勝率(SOV)によりジェッツが上位

成績

AFC南地区(2002年-現在)

年度地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2025 JAX(3)1340 HOU(5)1250 IND890 TEN3140
2024 HOU(4d)1070 IND890 JAX4130 TEN3140
2023 HOU(4d)1070 JAX980 IND980 TEN6110
2022 JAX(4d)980 TEN7100 IND4121 HOU3131
2021 TEN(1d)1250 IND980 HOU4130 JAX3140
2020 TEN(4w)1150 IND(7w)1150 HOU4120 JAX1150
2019 HOU(4d)1060 TEN(6c)970 IND790 JAX6100
2018 HOU(3w)1150 IND(6d)1060 TEN970 JAX5110
2017 JAX(3c)1060 TEN(5d)970 IND4120 HOU4120
2016 HOU(4d)970 TEN970 IND880 JAX3130
2015 HOU(4w)970 IND880 JAX5110 TEN3130
2014 IND(4c)1150 HOU970 JAX3130 TEN2140
2013 IND(4d)1150 TEN790 JAX4120 HOU2140
2012 HOU(3d)1240 IND(5w)1150 TEN6100 JAX2140
2011 HOU(3d)1060 TEN970 JAX5110 IND2140
2010 IND(3w)1060 JAX880 HOU6100 TEN6100
2009 IND(1s)1420 HOU970 TEN880 JAX790
2008 TEN(1d)1330 IND(5w)1240 HOU880 JAX5110
2007 IND(2d)1330 JAX(5d)1150 TEN(6w)1060 HOU880
2006 IND(3v)1240 TEN880 JAX880 HOU6100
2005 IND(1d)1420 JAX(5w)1240 TEN4120 HOU2140
2004 IND(3d)1240 JAX970 HOU790 TEN790
2003 IND(3c)1240 TEN(5d)1240 JAX5110 HOU5110
2002 TEN(2c)1150 IND(5w)1060 JAX6100 HOU4120

AFC東地区(1970年-2001年)

  • BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001 NE(2v)1150 MIA(4w)1150 NYJ(6w)1060 IND6100 BUF3130
2000 MIA(3d)1150 IND(6w)1060 NYJ970 BUF880 NE5110
1999 IND(2d)1330 BUF(5w)1150 MIA(6d)970 NYJ880 NE880
1998 NYJ(2c)1240 MIA(4d)1060 BUF(5w)1060 NE(6w)970 IND3130
1997 NE(3d)1060 MIA(6w)970 NYJ970 BUF6100 IND3130
1996 NE(2s)1150 BUF(4w)1060 IND(6w)970 MIA880 NYJ1150
1995 BUF(3d)1060 IND(5c)970 MIA(6w)970 NE6100 NYJ3130
1994 MIA(3d)1060 NE(5w)1060 IND880 BUF790 NYJ6100
1993 BUF(1s)1240 MIA970 NYJ880 NE5110 IND4120
1992 MIA(2c)1150 BUF(4s)1150 IND970 NYJ4120 NE2140
1991 BUF(1s)1330 NYJ(6w)880 MIA880 NE6100 IND1150
1990 BUF(1s)1330 MIA(4d)1240 IND790 NYJ6100 NE1150
1989 BUF(3d)970 IND880 MIA880 NE5110 NYJ4120
1988 BUF(2c)1240 IND970 NE970 NYJ871 MIA6100
1987 IND(3d)960 NE870 MIA870 BUF780 NYJ690
1986 NE(3d)1150 NYJ(4d)1060 MIA880 BUF4120 IND3130
1985 MIA(2c)1240 NYJ(4w)1150 NE(5s)1150 IND5110 BUF2140
1984 MIA(1s)1420 NE970 NYJ790 IND4120 BUF2140
1983 MIA(2d)1240 NE880 BUF880 BAL790 NYJ790
1982 MIA(2s)720 NYJ(6c)630 NE(7w)540 BUF450 BAL081
1981 MIA(2d)1141 NYJ(4w)1051 BUF(5d)1060 BAL2140 NE2140
1980 BUF(3d)1150 NE1060 MIA880 BAL790 NYJ4120
1979 MIA(3d)1060 NE970 NYJ880 BUF790 BAL5110
1978 NE(2d)1150 MIA(4w)1150 NYJ880 BUF5110 BAL5110
1977 BAL(2d)1040 MIA1040 NE950 BUF3110 NYJ3110
1976 BAL(2d)1130 NE(4d)1130 MIA680 NYJ3110 BUF2120
1975 BAL(3d)1040 MIA1040 BUF860 NYJ3110 NE3110
1974 MIA(d)1130 BUF(d)950 NE770 NYJ770 BAL2120
1973 MIA(v)1220 BUF950 NE590 NYJ4100 BAL4100
1972 MIA(v)1400 NYJ770 BAL590 BUF491 NE3110
1971 MIA(s)1031 BAL(c)1040 NE680 NYJ680 BUF1130
1970 BAL(v)1121 MIA(d)1040 NYJ4100 BUF3101 BOS2120

NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969 LA(c)1130 BAL853 ATL680 SF482
1968 BAL(s)1310 LA1031 SF761 ATL2120
1967 LA(c)1112 BAL1112 SF770 ATL1121

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1966 GB(V)1220 BAL950 LA860 SF662 CHI572 DET491 MIN491
スーパーボウル開始
1965 GB(v)1031 BAL1031 CHI950 SF761 MIN770 DET671 LA4100
1964 BAL(n)1220 GB851 MIN851 DET752 LA572 CHI590 SF4100
1963 CHI(v)1112 GB1121 BAL860 DET581 MIN581 LA590 SF2120
1962 GB(v)1310 DET1130 CHI950 BAL770 SF680 MIN2111 LA1121
1961 GB(v)1130 DET671 BAL860 CHI860 SF761 LA4100 MIN3110
1960 GB(n)840 DET750 SF750 BAL660 CHI561 LA471 DAL0111
1959 BAL(v)930 CHB840 GB750 SF750 DET381 LA2100
1958 BAL(v)930 CHB840 LA840 SF660 DET471 GB1101
1957 DET(v)840 SF840 BAL750 LA660 CHB570 GB390
1956 CHB(n)921 DET930 SF561 BAL570 GB480 LA480
1955 LA(n)831 CHB840 GB660 BAL561 SF480 DET390
1954 DET(n)921 CHB840 SF741 LA651 GB480 BAL390
1953 DET(v)1020 SF930 LA831 CHB381 BAL390 GB291

主な選手

歴代ヘッドコーチ

脚注

外部リンク

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