アジアーゴの戦い
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| アジアーゴの戦い | |
|---|---|
アジアーゴ高原 | |
| 戦争:第一次世界大戦 | |
| 年月日:1916年5月15日 – 6月10日 | |
| 場所:トレンティーノ地方、アジアーゴ高原 | |
| 結果:イタリア軍の勝利(オーストリア軍攻勢失敗) | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
| 歩兵300大隊 大砲2000門 |
歩兵172大隊 大砲850門 |
| 損害 | |
| 死傷者数100,000人 | 死傷者数140,000人 |
アジアーゴの戦い(Battle of Asiago)とは、第一次世界大戦中のイタリア戦線で、オーストリアとイタリアの間で発生した戦いで、第五次イゾンツォの戦いの最中にイゾンツォ川の副次的な戦線だったトレンティーノ戦線で行われた。防戦に徹していたオーストリア軍初めての攻勢作戦(Strafexpeditionと呼ばれた)で、攻守が入れ替わっての戦いとなった。
オーストリア軍司令部のフランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ将軍は同盟を破棄したかつての同盟国に怒りを抱いて、イタリアとの開戦初期の時点で攻勢に持ち込むつもりでいた。オーストリア軍は山岳地帯という地理的有利を生かしての防戦(これは実際に効果的だった)に徹したが、コンラート将軍は攻勢計画を練り続けた。攻撃は険しく、主戦力の集中するイゾンツォ川を避けて副次的戦線だったトレンティーノ地方に向けて行う予定でいた。攻勢計画はトレンティーノ戦線西部のイタリア第1軍をオーストリア第5軍と第3軍が包囲殲滅、そのままヴェネツィア市まで進んでトレンティーノ戦線東部の第4軍とイゾンツォ川でオーストリア第5軍と対峙するイタリア第2軍と第3軍を孤立させるという大胆な内容だった。
イタリア軍の新たな攻勢が決定された1915年12月にオーストリアもコンラート将軍の計画を承認し、更にドイツ軍にも増援を嘆願した。ドイツ軍のファルケンハイン将軍は要請を受託して東部戦線から一部部隊をチロル地方に派遣した。もっとも当のドイツ軍はオーストリア軍の攻撃成功を疑問視して、援軍を送る代わりに防戦を維持する様に強く要請した。ドイツ軍の反対を知ったコンラートは独断で作戦を発動した。