アステール青森FC
かつて存在した日本のサッカークラブ
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概要
1970年、五戸町役場の職員により発足[1]。1972年の第2回全国自治体職員サッカー選手権大会では3位に入賞した[2]。1976年には第56回天皇杯全日本サッカー選手権大会東北大会で優勝、東北代表として天皇杯初出場を果たしたが、1回戦で中央大学に敗れた。なお、この時のメンバー16人全員が町役場の職員で、本庁、学校給食センターの調理師、学校用務員、建設職員として勤務していた。また、チームの中心は五戸高校のOBであった[1]。
その後は五戸町役場サッカークラブ(SC)として、全国自治体職員選手権で優勝4回、準優勝1回、3位6回の成績を残した。このほか、全国社会人サッカー選手権大会に4回、天皇杯に6回出場している。1996年の第76回天皇杯では、三洋電機(群馬県)を破り大会初勝利を挙げた。
1996年11月、ワールドブリッツ小山を運営する栃木県スポーツ文化振興株式会社と五戸町役場SCを支援していた青森スポーツクラブ株式会社(ASC)が活動面で提携すると発表[3]。翌1997年、ASCが運営主体となって五戸町役場SCを母体にアステール青森FCを創設した[4]。アステールとはギリシャ語で『星』(αστερ)を意味する。チーム名は公募により同年4月21日に決定した。また、マスコットキャラクター“天馬くん”が設定された。
1997年、新設された東北社会人サッカーリーグ2部北で優勝し1部昇格。同年は青森県サッカー選手権大会で優勝し第77回天皇杯に出場、1回戦で広島大学を破り2回戦に進出した。東北リーグ1部では1999年から4年連続の3位。天皇杯は第78回大会(1998年)および第81回大会(2001年)に出場したが、いずれも1回戦で敗れた。2003年、東北リーグ1部で8位に終わり、2部北に降格。
東奥日報によると2004年以降ASCからの支援が無くなったとされる[4] が、この時期にASCの社長を兼務していた青森県体育協会の理事長が、県体協の資金300万円をASCの運転資金に流用したとして業務上横領事件に伴う証拠隠滅の容疑で2004年12月に逮捕[5]。その後に告訴されて青森地方裁判所弘前支部から2005年2月14日に有罪判決を受けたことが報じられた[6][7]。
ASCからの支援が無くなってからは選手がクラブの費用を賄ってきたが、選手不足により11人未満で臨む試合もあり、資金的にも限界に達したことから2006年11月までに解散することが決定し、2006年シーズンをもって解散した[4]。
成績
タイトル
リーグ戦
- 東北社会人サッカーリーグ1部
- 3位 : 4回 (1999, 2000, 2001, 2002)
- 東北社会人サッカーリーグ2部北
- 優勝 : 1回 (1997)
カップ戦
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会予選東北大会
- 優勝 : 5回(1976, 1977, 1978, 1979, 1981)
- 青森県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会青森県予選)
- 優勝 : 3回 (1997, 1998, 2001)
- 全国自治体職員サッカー選手権大会
- 優勝:4回(1975, 1976, 1977, 1978)
- 準優勝:1回(1983)
- 3位:6回(1972, 1979, 1985, 1986, 1987, 1989)
- 4位:3回(1984, 1998, 1999)