アトラスピアノ製造
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沿革
広島県出身の頼金忠は、学生時代に学業の傍らピアノ販売のアルバイトをしていたが、卒業後は遠州ピアノ製造株式会社などでピアノ製造技術を学び、1958年、有限会社日米楽器工業所を設立、1960年に商号および組織を改変しアトラスピアノ製造株式会社となる。1961年、日本で最初のピアノJIS工場の認可を受け、翌年には広島支店を開設、その後日本ピアノ製作所を買収、日本ピアノアクション製造株式会社を吸収合併するなど、1960年代から1970年代にかけては、日本のピアノメーカーとして、生産設備、生産台数においてヤマハ、カワイに次ぐ勢いであった[1]。1980年代に入るとピアノの需要が落ち込み、1984年には業務提携していたブラザー工業株式会社が撤退し、1986年に事実上の倒産に至る[2]。
その後アトラスピアノ製造は1995年に独自資本で中国の大連経済技術開発区に進出したが[3]、資金難に陥り、商標権や特許権を含めて地元の資本に営業譲渡した[3]。これを受けて「アトラス楽器製造(大連)」[3](英語名"Atlas Piano and Instrument Manufacturing (Dalian) Co. Ltd"[4])が2004年に設立され[3]、中国の国内市場向けにピアノを製造している[3]。