アバダイ
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1554年、ノーノホの長男として生まれる[1]。
アバダイは14歳から27歳に至るまで常に戦争に明け暮れ、外敵を自分の権勢下に従わせ、諸々の兄弟を自分と分け隔てなく援助したため、1580年にトゥメト部のアルタン・ハーンからサイン・ハーン(sayin qaγan)の称号を授けられた[1]。
1581年、アバダイが28歳の時、デグルゲチ・バートル(degürgegči bar-a-tur)の戸外にトゥメト部より商人の一団がやってきた。彼らに中にはバクシ(barsi)がいたので、アバダイは使者を派遣してそのバクシを出迎えた[5]。アバダイはその時バクシからアルタン・ハーンのもとに三宝とトンコル・マンジュシュリー・チャダスマリ(sdongkür manǰusiri čadas mari トンコル・ジャムヤン・チュージェー・ユンテン・ギャムツォ)というラマ僧がいることを聞き、ハルハにもラマ僧を迎えたくなったので、そのバクシとキレグド(kiregüd)のアラク・ダルハン(alaγ darqan)の2人をアルタン・ハーンのもとへ派遣した[5]。アラク・ダルハンが到着した時、75歳のアルタン・ハーンは重病により床に伏せて声も出ない状態であったが、ゴマン・ナンソ(sgomang nangsu)というラマ僧をハルハに向かわせることを許し、まもなく亡くなった[5]。アラク・ダルハンがゴマン・ナンソを連れて戻ると、アバダイは斎戒し、戒律によって法に入り、ゴマン・ナンソをたいへん尊崇した[5]。
1583年にはサマラ・ナンソ(samala nangsu)というラマ僧がハルハにやってきた[5]。

1585年夏、アバダイはシャンホト(šanggutu)の北のカラコルム城跡に基壇をつくり、その年にエルデニ・ジョー寺院を建立し始めた[5]。このエルデニ・ジョーが完成するのは93年後の1677年のことである[6]。
1586年、アバダイはトゥメト巡錫中のダライ・ラマ3世に謁見し、千頭の騸馬[注釈 2]と金銀財物を献上した[2]。ダライ・ラマ3世はアバダイにヘーヴァジュラ灌頂[注釈 3]を授けると、ゲルを満たすほどの仏像の中から一つ選ばせた[2]。アバダイはパグモドゥパという古い仏像を選んだ[2]。ダライ・ラマ3世は親指ほどの仏舎利をアバダイに賜い、1つの緑松石で作られたチャクラサンヴァラ(勝楽金剛)像をはじめとする多くの霊験あらたかな礼品と、虎の毛皮のゲル、経典の寄贈もおこない、アバダイをワチルワニ(ヴァジュラパーニ、金剛手菩薩)の化身であるとしてノモン・イェケ・ワチル・ハーン(nom un yeke včir qaγan)の称号を授けた。その後アバダイは北上してハラオロンの大野営地に帰還し、ハルハの群衆を釈迦牟尼の教法へと導き始めた[2]。
妻子
子
- シブグタイ
- エレク・メルゲン・ハーン…初代トシェート・ハーン・ゴンボの父。