伝承を根拠に法を求める同法学派の基盤は、シーア派初期のコムの法学者間で育まれた。その先駆者の一人であるイブン・バーバワイヒ(英語版)は四大伝承集の1書の編纂者でもあり[3]、『信条』を著して、法の演繹が無効であることを明言した。シャイフ・ムフィード(英語版)は、『信条訂正の書』を著して彼に反論し、イブン・イドリース・ヒッリー(ペルシア語版)も『秘訣』を著して伝承学派を攻撃したが、これらはかえって伝承学派の存在を位置付けている。
しかし、完成した学派として法学界を風靡するのは、17世紀にムハンマド・アミーン・アスタラーバーディー(英語版)が『マディーナの恩恵』を著してからである。基本的にこの学派は、①法の演繹はスンナ派法学の方法論だから無効であり、ムジュタヒドは不必要、②すべての信徒はイマームのムカッリド(英語版)だからガイバの前後で法生活に変わりはない、という立場をとる。アスタラーバーディーは①の根拠を、法の適用にあたり重要なのは、それが神の意にかなうことに確信を得ることであって、推論に基づいてそれを導くことではなく、その確信は、イマームからの伝承に求められる点に置く。また②の根拠を、「四大伝承集の伝承はイマームの意見を含みすべて正しい」、「イマームは間違いや誤解を生じるような意見は示さないし、法問題解決に必要な伝承を残しているから、アラビア語に通じた者なら誰でも正しい法の理解に達する」という2点に置く。
この著作を機に約150年間主流となった伝承学派は、1818年、最後の大学者ミールザー・モハンマド(英語版)が暗殺されるにいたってほぼ消滅した。この時代には、より完全な法源の確立を目指したシーア派伝承の集大成が完成する。①四大伝承集のすべての伝承を網羅したファイド・カーシャーニー(ペルシア語版)の『十分』、②法学に関する伝承を網羅したフッル・アーミリー(英語版)の『シーアの手段』、③入手可能なすべての伝承を網羅したモハンマドバーゲル・マジュレスィーの『光の大洋』[1]。①と②の編者は伝承学の学者である。