アフマド (チャガタイ家)
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アフマドの父ブリはルーシ遠征に従軍した折、オゴデイ家のグユクとともに総司令官バトゥを宴席にて侮辱した。この一件によってブリはバトゥとの間に怨恨を生じさせ、バトゥの後援によってモンケがカーンに即位するとブリはバトゥによって殺されてしまった。このため、ブリの諸子たちの間には反モンケ政権の傾向があったと見られる。
アフマドの前半生は不明であるが、バラクがチャガタイ・ウルス当主となった頃にはビシュバリク地方でこれに従っていた。バラクがフレグ・ウルスへと侵攻し、カラ・スゥ平原の戦いで大敗するとバラク統治下のチャガタイ・ウルスは動揺し離反者が表れるようになった。このため、バラクは一軍をビシュバリクに派遣し、アフマドを殺害することによって離反者に対する見せしめとした[1]。『ワッサーフ史』によると、バラクによるアフマドの殺害が各地に報ぜられた後、ニクベイやヤサウルといったチャガタイ系諸王は完全にバラクを見限ってカイドゥに臣従したとされ、アフマドの殺害はかえってバラクの政治生命を縮めてしまったようである[2]。
バラクはアフマドを殺した後、ほどなくして亡くなったが、アフマドの子孫は内紛を避けて大元ウルスに逃れてきた。1272年にはアフマドの長子ババがクビライより銀鈔を賜っており、以後アフマドの子孫は大元ウルスに仕え続けチャガタイ・ウルスに戻ることはなかった[3]。