アブドル・ハク
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ナンガルハール州出身のパシュトゥーン人。生家は、ギルザイ部族連合アフマドザイ部族の富裕な名家で[1]、ザーヒル・シャー国王とも関係が深かった。彼の父方の曽祖父ワズィール・アルサラー・ハーンは1869年アフガニスタンの外務大臣を務め、対英対露策に奔走した。また、彼の従兄弟ヒダーヤト・アルサラーは世界銀行の理事を務め、後にカルザイ政権の副大統領に就任した(2001年12月 - 2004年12月)[2]。彼は庶子であったため家督は継いでいない。家督を継いだ兄は[3]イスラーム党(ハーリス派)の指導者だったハジ・アブドゥル・カディールであり[4]、カルザイの初期の有力な支援者で、後に政権の閣僚も務めたが、2002年暗殺された(カディールを兄とするもの[5]と、弟とするもの[6]がある)。
ムジャーヒディーン
1977年にグルブッディーン・ヘクマティヤール率いるイスラム党(ヘクマティヤール派)の一員として、当時の共産主義政権に対する武力闘争に身を投じた[7]。後にムハンマド・ユーヌス・ハーリスのイスラム党 (ハーリス派) に転じた。ソ連・アフガン戦争では、カーブル地域のムジャーヒディーンを束ねた[4]。一連の戦闘での活躍によって、指揮官としての名声が高まり、アフガニスタン全土でも指導的な立場を得るに至った。ガーディアンによると、戦場で12回負傷し片足を失った。そのため戦場ではいつも馬の背にあったと言う[7]。また、戦傷治療のために日本を訪れたことがある[8]。
戦後の活動
1998年、国際連合の和平調停者に就任した[7]。
