アブー・サフル・マスィーヒー From Wikipedia, the free encyclopedia アブー・サフル・マスィーヒー(ペルシア語: ابوسهل مسیحی、971年‐1010年)は、ペルシャの医学者。全名アブー・サフル・イーサー・イブン・ヤフヤー・マスィーヒー・ギルガーニー(ペルシャ語:ابو سهل عيسى بن يحيى مسيحی گرگانی、ラテン文字転写:Abū SahlʿĪsā ibn Yaḥyā Masīḥī Gurgānī)[1]。 マスィーヒーは、イスラーム世界を代表する哲学者、医学者イブン・スィーナーの医学の師とされる[1]。 マスィーヒーは、ゴルガーンに生まれた。その後、バグダードで学習し、ホラーサーンやホラズムで活躍した。ホラズムでは、ウルゲンチのマームーン朝(英語版)のマームーン2世(英語版)の宮廷に参内した。この宮廷にはイブン・スィーナーも参内しており、そこでマスィーヒーと交流し、医学の師となったとされる。マームーン朝を攻めていたガズナ朝のマフムードによりマスィーヒーらホラズムの学者たちに出仕を要求されたが、拒んで西に逃亡した。マーザンダラーンまで逃亡したが砂嵐に見舞われ死亡した[1]。 脚注 1 2 3 矢口 2025, p. 142‐143. 参考文献 矢口直英「アブー・サフル・マスィーヒーと人間の創造における神の叡智の表揚」『専修人文論集116』専修大学出版局、2025年3月15日、142‐143頁。ISSN 03864367。 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFWorldCat国立図書館ドイツアメリカフランスBnF dataオランダイスラエル学術データベースMathematics Genealogy Project人物DDBその他TDVイスラーム百科事典Yale LUX Related Articles