アベル・ボナール

From Wikipedia, the free encyclopedia

アベル・ボナール(Abel Bonnard、1883年12月19日 - 1968年5月31日)は、フランス詩人随筆家政治家コラボラトゥールとしてヴィシー・フランスの国民教育大臣を務めた。

中西部のヴィエンヌ県ポワティエに生まれ、パリリセ・ルイ・ル・グランエコール・デュ・ルーヴルパリ文科大学文学を学び[1]、1906年の『親しき人々(Les Familiers)』(同年アカデミー・フランセーズ詩賞フランス語版受賞)[2]など3冊の詩集で華々しく文壇にデビューした。1924年には紀行『中国にて(En Chine)』でアカデミー・フランセーズ文学大賞を受賞したが[3]、1930年代に右翼団体アクシオン・フランセーズシャルル・モーラスと親交を結んでファシズムに傾斜する[4][5]。1932年6月16日にアカデミー・フランセーズの会員に選出される[1]。1940年のナチス・ドイツによるパリ陥落後、ヴィシー政権で1942年から1944年まで国民教育相を務めたが[1][6]パリ解放後の対独協力者に対する粛清を逃れるために、ドイツ南部のジクマリンゲンを経てスペインへ亡命した。このときアカデミー・フランセーズを除名された[1]。1945年7月4日に欠席裁判により死刑判決を受け[1][7]、1960年に再審を受けるために帰国したが、再度スペインへ移住し、1968年にマドリードで死去した[7]

日本では『友情論』(1928年)の著者として知られ、複数の著名な文学者が翻訳している。

受賞・栄誉

著書(邦訳)

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI