アマドゥ・マハタール・ムボウ
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| アマドゥ・マハタール・ムボウ Amadou-Mahtar M'Bow | |
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| 生年月日 | 1921年3月20日 |
| 出生地 | ダカール |
| 没年月日 | 2024年9月24日(103歳没) |
| 死没地 | ダカール |
| 前職 | 教員 |
| 在任期間 | 1974年11月15日 - 1987年11月15日 |
| 在任期間 | 1966年6月15日 - 1966年6月15日 |
| 大統領 | レオポール・セダール・サンゴール |
| 在任期間 | 1957年5月20日 - 1958年12月27日 |
アマドゥ・マハタール・ムボウ(Amadou-Mahtar M'Bow、1921年3月20日[1] - 2024年9月24日[2])は、セネガル・ダカール出身の教育者。1974年から1987年にかけて、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第6代事務局長を務めた。
新世界情報秩序
事務局長としては、「新世界情報秩序」を標榜し、欧米文化の情報帝国主義を打破しようと行動した。その姿勢は当時のソビエト連邦などの東側諸国および第三世界の非同盟諸国の支持を得たが、ジャーナリストに認可制を導入し報道の自由を制限するものだとする西側先進国との政治対立を生み、アメリカ、イギリス、シンガポールがユネスコを脱退するという結末を招いてしまった。また、ムボウはユネスコの人事に縁故を持ち込んだり、予算の肥大化による放漫財政を放置するなどしたために、最終的にはユネスコの存続を危うくした責任を問われる形で辞任に追い込まれることになった。
なお、ムボウが目指した「新世界情報秩序」は本来、欧米の大手通信社に世界の報道がほぼ寡占されている状況を打破するためのものであったが、21世紀においてもほぼそのままであるといえる。
栄典
ライオン勲章グランクロワ
セネガル学術勲章コマンドゥール
エクアドル:
エクアドル国家功労勲章グランクルス
ギニア:
ギニア国家功労勲章グラントフィシエ
スペイン
賢王アルフォンソ10世勲章グランクルス
治安警備隊功労メダル
ブラジル:
南十字星国家勲章グランクルス
フランス
レジオンドヌール勲章コマンドゥール
教育功労章コマンドゥール
芸術文化勲章コマンドゥール
ペルー:
ペルー太陽勲章グランクルス
ボリビア
アンデス・コンドル勲章グランクルス
ボリビア教育勲章グランクルス
ポルトガル:
エンリケ航海王子勲章グランクルス
マリ:
マリ国家勲章コマンドゥール