アメデ・メナール
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フランス西部のナントの木材商人の息子に生まれた[4]。幼い頃から芸術に興味を持ち、絵画と彫刻の訓練を受け、ナントの美術学校などで学んだ後[5]、19歳になった1825年にパリに出て、彫刻家のエティエンヌ=ジュール・ラメの工房で5年間学び、1830年のローマ賞のコンクールに参加する準備をしていたが、フランス7月革命が起こったため、メナールはナントに帰郷した。1年ほどナントに滞在した後、再びパリにでるが[4]、パリでは十分な仕事が得られなかったので5年ほどでナントに戻り、その後はナントやブルターニュ地域で活動した。
ナントでは彫刻家のシャルル=オーギュスト・ルブール(Charles-Auguste Lebourg)や画家のオーギュスト・トゥールムーシュといったナント出身の芸術家に絵を教えた[4]。ナントなどでモニュメントの制作を行い、ブルターニュのカンペール出身でフィニステール県の主任建築家となったジョセフ・ビゴー(Joseph Bigot)の注文でカンペール美術館のファサードの装飾彫刻やカンペールのサン・コランタン大聖堂(Cathédrale Saint-Corentin)のために、1793年に破壊されたグラドロン王(5世紀の伝説のブルターニュの王)の騎馬像復元などの彫像も制作した[4]。
1879年にナントで亡くなった[6]。