1829年、ナントで、父エミール・トゥールムーシュと母Rose Sophie Mercierとの間に生まれた。父は商人で、裕福なブルジョワであった[1]。
1841年からナントの彫刻家アメデ・メナールから絵を学び、その後肖像画家のもとで修行し、1846年にパリに移りシャルル・グレールの画塾アカデミズム絵画の絵画を学んだ。
グレールのお気に入りの弟子となり[2]、19歳の1848年にサロン・ド・パリに初めて出展した[3]。1849年と1850年にもサロンに出展し人物画を専門とするようになり[2]、パリのブルジョアの女性の肖像をしばしば描いた[3][4]。
彼の絵はフランスやアメリカ合衆国で人気となり、1852年に皇帝ナポレオン3世が婚約者のウジェニー・ド・モンティジョに贈るためにトゥールムーシュの作品が買い上げられた[4] 。1852年と1861年にサロンで賞を得た。
1861年、クロード・モネの親戚に当たるマリー・ルカードルと結婚した。モネがパリに出てくるに際し、シャルル・グレールの画塾で勉強するよう勧めた。
1870年の普仏戦争ではパリ防衛の大隊に参加した[2]。1870年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[3]。戦争の後はナント近くのAbbaye Notre-Dame de Blanche-Couronneで暮らし アレヴィ(Geneviève Halévy), ジョゼ・マリア・ド・エレディア(José-Maria de Heredia)、ポール・ボードリーやイグナツィ・パデレフスキなどのパリの友人が訪れた。
1890年に亡くなり、パリのモンパルナス墓地に埋葬された。