アメリア・エリザベス・グッピー

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職業 画家、写真家
アメリア・エリザベス・グッピー
Amelia Elizabeth Guppy
生誕 Amelia Parkinson
(1808-11-21) 1808年11月21日
イギリスの旗 イギリス ハートフォードシャー
死没 1886年
トリニダード・トバゴ
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 画家、写真家
子供 レッチミア・グッピーほか
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アメリア・エリザベス・グッピー(Amelia Elizabeth Guppy、1808年11月21日 - 1886年)は、イギリス出身の画家写真家であり、女性写真家の先駆者である。

ストークセイ城。1854年、グッピー撮影

グッピーは1808年11月21日ハートフォードシャーのブリンガムコートでアメリア・パーキンソン(Amelia Parkinson)として生まれた。父はリチャード・パーキンソン(Richard Parkinson)、母はルーシー(Lucy、旧姓レッチミア(Lechmere))で、グッピーはその長女である。母の父はイギリス海軍白色中将英語版ウィリアム・レッチミア英語版である[1][2]。パーキンソン一家は、ヘレフォードシャー州にある13世紀に建てられたキナーズリー城英語版に住んでいた。

グッピーはデーヴィッド・コックスから絵を学んだ[3]

1834年1月12日、ミドルテンプルの弁護士ロバート・グッピーと駆け落ちして、シュロップシャー州ビターリー英語版に居住した。2人の結婚は両家から認められていたものだったが、社交界での付き合いを避けたかったものと見られる。1837年、当時イギリス領だったトリニダード島のサンフェルナンドに移住した。夫のロバートは、その兄のサミュエルの親戚のプロセロー家の農園における奴隷解放に伴う法的問題の解決を行った[4]。その後ロバートは、長年にわたりサンフェルナンドの市長を務めた。

グッピーは画家・写真家であり、トリニダードの風景や植物、特にランをよく描いていた。グッピーはランを好み、描くだけでなく、収集・分類して名前をつけ、また、家の周りに植えていた。ソープ(Thorpe)という若い男を雇って助手とし、ソープとともにラバに乗って何日もかけて島中をめぐり、スケッチをした[2][4]。後に木の上に家を建ててもらい、そこで過ごすようになった。グッピーは、知的な交流を求めて定期的にイギリスに帰っていた。

グッピーが撮影した、本の上にバビロニアの出土品を置いた写真(1853年、ホートン図書館英語版所蔵)

グッピーが撮影した最も古い写真は、1847年に撮影した彼女の子供の写真である[5]。1853年、遠縁でビブリオマニアとして知られるトーマス・フィリップスの依頼により、彼の膨大なコレクションの一部を撮影した。1854年にはストークセイ城英語版を撮影した。

1871年、63歳のときにベネズエラへ冒険した。それまで白人が行ったことのないオリノコ川を1人で遡り、そこに咲くランを収集した[2]

グッピーは1886年にトリニダードで死去し、サンフェルナンドに埋葬された。グッピーの作品の多くは、良い状態で保存されていなかったため、そのほとんどが第二次世界大戦の戦禍の中で破壊された[5]

家族

作品

脚注

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