有名なアヤ・トリアダ・サルコファガス
アヤ・トリアダは、近くのファイストスとともに1900年から1908年にかけてフェデリコ・ハルブヘル(英語版)とルイジ・ペルニエ(英語版)の率いるイタリアのアテネ・イタリア考古学学校 (it:Scuola archeologica italiana di Atene) のグループによって発掘された。遺跡には町と小型の「宮殿」、両者のための古代の排水設備、初期ミノアの円形墳墓が含まれる。集落は初期ミノア(EM I)から後期ミノア(LM IB)の火災までの時代、さまざまな形態で使用された。
考古学者はクレタ人の生活現場を描いたサルコファガス(石棺)を発掘した[3]。これは今までに発見された唯一の当時の石灰岩のサルコファガスであり、ミノアの葬儀を物語る一連の情景を持つ唯一のサルコファガスでもある。しかし、ミノアの信仰は紀元前14世紀にクレタ島を占領したミケーネ人のものと混ざりあっている可能性がある。サルコファガスは本来王子の埋葬に使われた。
サルコファガスの長辺の中央には牡牛の犠牲の様子が描かれている。もう一つの長辺の左側には冠をつけた女性が2つの壺を運んでいる。彼女の傍らには長衣をまとった男が七弦のリラを演奏している。これは古典ギリシアのリラを描いた現存最古の絵画である。
アヤ・トリアダ出土「収穫者の壺」(1500-1400BC)。イラクリオ考古学博物館(英語版)蔵
彼らの前では別の女性が壺の中身を(おそらく犠牲になった牡牛の血と思われる)別の壺に移しかえている。おそらく死者の霊を呼びだすためであろう[4]。牡牛の血が再現する死者の再生に使われたようである。この情景は死者が血を必要とするというホメーロスの記述に似ている[5]。右側には動物と船を手にした3人の男が、腕のない男の方に進んでいる。死者が贈り物を受けとっている様子を表すものとされる。船は死者が次の世界を旅するためのものである[6]。ミノア人の信仰では、海の向こうに死者のためのエーリュシオンの島があり、そこでは肉体を離れた霊が、もとの体とは異なるがより幸福な体を得られる。ラダマンテュスがエーリュシオンの裁判官であり、この考えはオルペウス教よりおそらく古い[5]。
クレタ島のいくつかの祭はギリシアのものと対応していたようである[7]。クレタで発見された「収穫者の壺」あるいは「脱穀者の壺」には農作業が描かれている。この壺は最終宮殿時代(LM II)のものである。男たちが2人ずつ並んで、叩き棒を肩にかついで歩いている。指導者は縁取りのある神官のような服を着て棒を手にしている。楽団が彼らに同行しているが、その一人はエジプトのシストルム(英語版)を演奏している[8][9]
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