アルゲントラトゥム

From Wikipedia, the free encyclopedia

アルゲントラトゥム
4世紀のライン川流域
所在地 フランス
地域 グラン・テスト地域圏
ストラスブール考古学博物館に展示されているアルゲントラトゥムの遺物

アルゲントラトゥム (ラテン語: Argentoratum) は、現在のフランスの都市ストラスブール古名。紀元前12年にローマ帝国の将軍ネロ・クラウディウス・ドルススライン川防衛のために建設した。90年からは、第8軍団アウグスタの恒久的な駐屯地となった。

紀元前12年、ライン川沿いのゲルマニア・スペリオル属州にあったガリア人の村の近くに、ネロ・クラウディウス・ドルスス(大ドルスス)率いるローマ軍団が要塞都市を建設した。「アルゲントラトゥム (Argentratum)」という名が初出するのはこの年であるが、実際にはガリア人が以前から使っていた地名がラテン語化されたものだと考えられている。元になった地名がどれほど前から使われていたかは分かっていない[1]

90年以降、第8軍団アウグスタがアルゲントラトゥムに恒久的に駐屯するようになった[2]。建設当時のティベリウス帝時代の約6ヘクタールから約20ヘクタールへ拡張され、騎兵部隊が駐屯していた[3]ネロ帝時代には、第14軍団ゲミナ第21軍団ラパクスも一時的にアルゲントラトゥムに駐屯していたことがある[4]

ドーム通りで発掘された、第8軍団の印が押されたレンガの破片 (ストラスブール考古学博物館所蔵)

357年、ライン川を越えて侵攻してきたアレマンニ族とローマ軍がアルゲントラトゥムで衝突した。このアルゲントラトゥムの戦いユリアヌス(後の皇帝)率いるローマ側が勝利し、アレマンニ王クロドマルが捕虜となった。366年1月2日、大規模なアレマンニ族が凍結したライン川を渡ってアルゲントラトゥムに入り、そこから帝国内に侵攻した。

4世紀以降、アルゲントラトゥム(ストラスブール)には司教座がおかれた(1988年に大司教座に昇格)。

5世紀前半、アレマンニ族がライン川を渡り、現在のアルザスおよびスイスの大部分にあたる地域を征服、定着した。この頃から「アルゲントラトゥム」という名称は歴史上から姿を消し、トポニムである「ストラティスブルグム」(Stratisburgum)に置き換えられていった。

遺跡

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI