アルサケス1世の出自は明らかではない[1]。一説に彼はバクトリア人で、バクトリア総督(サトラップ)のディオドトスの支配に不満を抱き、パルティアに侵入して巧みに住民を扇動し、反乱を起こさせたというものもある。また、プリアピテスの子アルサケスの子ともいわれている[2]。
セレウコス朝のセレウコス2世(紀元前246年 - 紀元前225年)が小アジアでガラティア人に敗れたという噂を聞いたアルサケスは弟のティリダテス1世と盗賊の手勢を率いて、セレウコス朝のパルティア州に侵入し、その総督アンドラゴラスを襲撃して殺害した。そしてアルサケスはアスタウエネのアサアクで王冠を授けられ、アルサケス朝パルティア王国を建国した[3][4]。
まもなくしてヒュルカニア(英語版)を占領し、パルティアとヒュルカニアという2つの種族と地域を手中に収めることができた。アルサケス1世はバクトリア王国のディオドトス1世を恐れていたため、大規模な軍隊を準備したが、紀元前234年にディオドトス1世が崩御すると、その息子で王位を継いだディオドトス2世と講和を結ぶことができ、セレウコス朝との会戦に挑むことができた。紀元前227年頃、東進していたセレウコス2世を退却させることに成功し、勝利宣言する。パルティア人はこの日を自由の始まりの祝日と看做した[5][6][7]。
セレウコス2世が新しい騒乱で小アジアへ呼び戻されたとき、アルサケス1世は一息ついて軍隊を再編し、城砦を築き、ダラという名の都市をアパオルテノン山に建てた。この地は四方を険しい岸壁で囲まれているため守りが固く、一方で周辺が肥沃で泉と森が豊富にあり、狩りもできるため快適な場所であった[6]。
老齢のため[6]紀元前211年頃に崩御し[8]、息子のアルサケス2世が王位を継承した。彼以後、全てのパルティア王がアルサケスの名を称号とした。