アルタンはテムルに仕えて宿衛(ケシク)長を務めていたが、父のエセン・ブカの職務を助けるため湖広行省に派遣され、中奉大夫・海北海南道宣慰使・都元帥の地位に至った。この頃、湖広行省の海康県は安南(陳朝)・占城といった体外勢力や反復常ならない海上諸島の勢力に隣接し不安定な状態にあったが、アルタンの威望によって帰服し朝貢を行ったという[1]。
1309年(至大2年)には資徳大夫・中書右丞の地位に就いた。しかし、程なくして父が亡くなったことにより体調を崩し、病により亡くなった。1329年(天暦2年)、趙国公・中書左丞相に追封されている[2]。