シラ・オグル
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『元史』によると兄弟が4人おり、長男がトク・ブカ(脱不花)、次男がケレゲイ(怯烈哥)、三男がシラ・オグルで、四男にカラ・オグル(哈剌阿忽剌)がいた。次男のケレゲイは早くからモンゴル部のチンギス・カンと誼を通じており、4兄弟はこの縁を頼って部属を率いチンギス・カンに臣従した。チンギス・カンはケレゲイとの古くからの縁を重んじ、朝会や宴会で常に上列に座らせるなどその一族を厚遇した。
ケレイト部はモンゴル部に先んじてウイグル文字を導入しており、シラ・オグルもまたウイグル文字を用いたモンゴル諸語の記述に通じていた。チンギス・カンに臣従したシラ・オグルはこの能力を買われてビチクチ長に任ぜられ、シラ・オグルはモンゴル帝国における最初のビチクチの一人となった。同じ頃、ケレイト部出身のアビシュカやケレイト部に縁のあるウイグル人のチンカイもビチクチに任ぜられており、これらの元ケレイト・ウルス関係者がモンゴル帝国のビチクチ制度の原型を形作ったと考えられている[2][3]。
シラ・オグルは早くに亡くなったため、息子のブルガイがその地位を引き継いだ。ブルガイは第4代皇帝モンケの治世においてジャライル部のモンケセルとともにモンケの最側近として国政を取り仕切ったが、モンケの死後の帝位継承戦争ではアリクブケを擁立してクビライと争ったため、クビライに敗れて処刑された[4]。