アルフレート・プファフ
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アイントラハト・フランクフルトのユース出身で、1949年から10年以上同クラブでプレーした。リーグ約300試合に出場し、1958-59シーズンにはブンデスリーガ優勝を手にした。1959-60シーズンのUEFAチャンピオンズカップではプレーメーカーとして素晴らしい技術やフリーキックを披露してクラブを準優勝に導き、自身も4得点を挙げた。1954年にはアトレティコ・マドリードからオファーを受けたが、夫人がスペイン行きに反対したことからドイツに留まった。
西ドイツ代表として7キャップ、2得点。同じ時代にフリッツ・ヴァルターがいたことから代表での出場機会は限られていたが、1954年のFIFAワールドカップにも出場。試合には敗れたものの、グループステージでは当時マジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表戦で西ドイツの1点目を記録した[1]。
1962年、36歳で現役を引退。引退後はオーデンヴァルト、シュネーベルクでバーテンダーやホテルの宿主などをしていた[2]。