アルベルト・ゲーリング
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1895年5月9日に外交官ハインリヒ・ゲーリングとその妻フランツィスカの間の末子として生まれる。彼が生まれる9か月~1年ほど前から母は医師・大地主ヘルマン・エーペンシュタインと愛人関係になっていたため、彼はエーペンシュタインの子ではないかと言われている。エーペンシュタイン自身の信仰はカトリックだが、その片親はユダヤ教徒だった。そのためニュルンベルク法の基準でいえばエーペンシュタインは「半ユダヤ人」に当たる[1]。したがってもしアルベルトがエーペンシュタインの子供ならアルベルトは四分の一ユダヤ人ということになる。
こうした出自のためか、彼は兄ヘルマンが所属していた反ユダヤ主義政党国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)を毛嫌いし、1938年まで反ナチ運動家だった[2]。ナチ党が政権を掌握するとエーペンシュタインのいるオーストリアへ逃れ、その援助を受けてウィーンの映画スタジオで働いた。1938年3月のアンシュルス後はヒトラー批判の言動からたびたびゲシュタポに逮捕されるも、そのたびに兄ヘルマンが彼を救い出した[3]。 その後は兄の推薦でプラハの自動車メーカーシュコダに勤め外国部長として働いた[2]。
戦後、ヘルマン・ゲーリングの親族という理由だけでアメリカ軍によって逮捕された。彼は自分は一貫して反ナチ運動家だったことを訴えたが、米軍は聞き入れなかった。アメリカ側はニュルンベルク裁判で兄ヘルマンを追及できる情報を探しており、アルベルトも兄に批判的な証言をすれば自分の立場が有利になることは分かっていたが、そうはしなかった。政治上の見解は相違しつつも、何度も自分をゲシュタポから守ったり、職を世話してくれたりした兄に感謝していたという[4]。