アルベール3世 (ナミュール伯)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| アルベール3世 Albert III | |
|---|---|
| ナミュール伯 | |
|
アルベール3世のコイン | |
| 在位 | 1063年 - 1102年6月22日 |
| 出生 |
1027年ごろ |
| 死去 |
1102年6月22日 |
| 配偶者 | イダ・フォン・ザクセン |
| 子女 |
ジョフロワ1世 アンリ フリードリヒ アルベール アデライード |
| 家名 | ナミュール家 |
| 父親 | アルベール2世 |
| 母親 | レゲリンド・ド・ヴェルダン |
アルベール3世(フランス語:Albert III, 1027年ごろ - 1102年6月22日)は、11世紀のナミュール伯(在位:1063年 - 1102年)である。ナミュール伯アルベール2世とレゲリンド・ド・ヴェルダンの息子。
アルベールは正式にはロレーヌ公として任命されたわけではなかったが、ドイツ王の息子コンラートが下ロレーヌ公に任命されていたものの、実質上はアルベール3世が下ロレーヌ公、または副公爵としてロレーヌ地域で重要な役割を果たしていたとみられている。しかしゴドフロワ・ド・ブイヨンがロレーヌ公に任命されたことを受けて、アルベールはこの爵位を喪失した[1]。
1071年から1072年にかけて、ロベール1世と対立するエノー・フランドル女伯リシルドを支援し、リシルドと共にロベール1世と戦争を繰り広げた。しかしリシルドはロベールに敗れ、フランドル伯領はロベール1世の手に渡った。
1076年、トスカーナ女伯マティルデの支援を受けたアルベールは、母方の血縁によりブイヨン公領の継承権を主張し、対立するゴドフロワ・ド・ブイヨンと争った。そして1085年9月20日、ダレムでゴドフロワ派と戦闘を行った際にアルベールはライン宮中伯ヘルマン2世を殺害し、これを機にドイツ皇帝からの支持を失ってしまった。この結果、1086年に神の休戦を経て、リエージュ司教アンリ・ド・ヴェルダンの仲裁のもと、ゴドフロワに有利な条件で両者は休戦した。
1099年、リエージュ司教オトベールからブルネンゲルス地方を受け取りしばらくの間統治した。しかしこの地域はルーヴェン伯との係争地であり、ナミュール家による統治は長くは続かなかった。