アルマンド・マンサネーロ

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出生名 Armando Manzanero Canché
生誕 (1934-12-07) 1934年12月7日
出身地 メキシコの旗 メキシコ ユカタン州ティクル
死没 (2020-12-28) 2020年12月28日(86歳没)
メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
アルマンド・マンサネーロ
Armando Manzanero
アルマンド・マンサネーロ(2016年)
基本情報
出生名 Armando Manzanero Canché
生誕 (1934-12-07) 1934年12月7日
出身地 メキシコの旗 メキシコ ユカタン州ティクル
死没 (2020-12-28) 2020年12月28日(86歳没)
メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
ジャンル ボレロラテン音楽
職業 ソングライターミュージシャン歌手
担当楽器 ピアノボーカル
活動期間 1950年 - 2020年
レーベル RCAビクター

アルマンド・マンサネーロArmando Manzanero1934年12月7日 - 2020年12月28日[1])は、メキシコ出身のポピュラー音楽作曲家歌手。「アドロ」の作曲家として有名である。

1935年12月7日に、メキシコのユカタン州メリダに生まれる。先住民のマヤ人の子孫としているサイトもある[2]

1950年に、自作曲「Nunca en el mundo」(意味: この世に何もない)を発表するが、この曲は様々な言語による21種類の歌詞がつけられるほど、後に注目を集めることとなる。そのころより、ピアニストとしての仕事につく。1957年CBSインターナショナルのメキシコ支部の音楽担当のマネージャーに就く。1958年、ラテン音楽の有名アーティストの伴奏ピアニストとしての活動を始める。1959年に、『Mi Primera Grabación』(意味: 私の初のレコード録音)というタイトルで初のアルバムをリリースする。また、歌手としての活動にも注目も集まる。

1965年の、アメリカ合衆国マイアミにおけるフェスティバル・デ・ラ・カンシォン(Festival de la Canción)にて、「Cuando Estoy Contigo」 (意味: 二人でいるとき)で第1位をとる。1967年に、「アドロ (Adoro)」を発表するが、この曲は、日本では、グラシェラ・スサーナの歌として有名になり、イージーリスニングの曲としても有名である。

1970年、「Somos novios」(意味: 私たちは恋人同士)にシド・ウェイン(Sid Wayne)による英語の歌詞がつけられ、「イッツ・インポッシブル」としてエルヴィス・プレスリーら有名アーティストによってカヴァーされる。ペリー・コモによる歌唱は、グラミー賞にノミネートされた。別のアメリカ人作曲家によって、アルマンド・マンサネーロの方が、著作権を侵害したとして訴えられ、アメリカ国内での民事裁判の評決は、マンサネーロの側に著作権料を返還する義務を負わせた。この曲は、アルマンド・マンサネーロが作曲したものであり、民事訴訟の判決が誤りであると、後に認定されている。

1978年に、スペインのマジョルカ音楽祭において、「Señor Amor」で第1位を勝ち得る。

通算すると400以上の楽曲を作曲。これらの曲について、自作自演も注目が集められるものの、フランク・シナトラら大物歌手も含め、多くの歌手によるカバーも人気を集めていた。

2020年12月28日2019新型コロナウイルス感染症に伴う腎不全などの合併症により、メキシコシティの病院で死去[3][4][5]85歳没

有名な作品

  • アドロ - "Adoro"
  • 私たちは恋人同士 - "Somos Novios"
  • あなたから学んだ - "Contigo aprendí"
  • 雨のつぶやき - "Esta tarde vi llover"
  • 明かりを消そう - "Voy a apagar a luz"

主なディスコグラフィ

脚注

外部サイト

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