1922年 1月30日から2月5日にかけてエレヴァン で開かれた全アルメニア労働者・農民・赤軍兵士代表ソビエト第1回大会中、2月2日に制定された最初のアルメニア共和国憲法は、その第89条において次のように定めている[ 1] 。
国旗:左上隅旗竿付近に金文字で «Հ.Ս.Խ.Հ.» ないし «Հայաստանի Սոցիալիստական Խորհրդային Հանրապետություն» と表示した明赤色の旗
1922年2月2日から1937年3月23日までの国旗
国旗のデザインには、1918年 に定められたロシア共和国の国旗 のようにカントン を四角く金色の帯で区切ったものや、中央執行委員会メンバーの徽章にあるように国名の略記にピリオドを追加したもの、あるいは国名表記を右上がりに配置したもの、表記をロシア語 で «ССРА» としたもののようなバリエーションも存在したとみられる[ 1] 。1923年 に外務人民委員部が発行したアルバムでは、国旗のデザインは赤旗 の左上を四角く黄色の帯で区切り、黄文字のロシア語で «ССРА» と表示したものが掲載されている[ 1] 。1927年 3月30日には新たなアルメニア共和国憲法が採択されたが、その第106条の国旗に関する説明は、旗色を緋色に、国名表記を略記のみとした点以外は、1922年のものから変更されていない[ 1] 。
1937年 3月23日に開かれた全アルメニア臨時ソビエト第9回大会において採択された新憲法では、国名が「アルメニア社会主義ソビエト共和国」«Հայաստանի Սոցիալիստական Խորհրդային Հանրապետություն» から「アルメニア・ソビエト社会主義共和国」«Հայկական Խորհրդային Սոցիալիստական Հանրապետություն» へと変更され、国旗についても第121条で次のような変更が加えられた[ 1] 。
アルメニア・ソビエト社会主義共和国の国旗は、左上隅旗竿付近に金の
鎌と槌 および
«АССР» を表示した赤い布とする。高さに対する幅の比は1対2とする。
1937年3月23日から1940年9月6日の国旗
1940年 9月6日付のアルメニア共和国最高会議幹部会令により、「ソビエト」と「共和国」の2語のアルメニア語 表記に国際化を意図した変更が加えられ、新たな国名表記は «Հայկական Սովետական Սոցիալիստական Ռեսպուբլիկա» とされた[ 1] 。
1940年9月6日から1952年12月26日の国旗
続く1952年 12月26日承認の最高会議幹部会令「アルメニア・ソビエト社会主義共和国の国旗に関して」により、国旗には次のような変更が加えられた[ 1] 。
中央に全幅分の青い帯を配した赤旗とする。青い帯の幅は旗の高さの4分の1とする。赤色部分上部旗竿付近には金色の鎌と槌を、その上部に金枠で囲まれた赤い
五芒星 を表示する。
新たな国旗は1953年 9月1日の最高会議部会で承認され、1955年 9月20日承認の幹部会令「アルメニア・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する法令」によって細則が定められた[ 1] 。
鎌と槌は、旗の高さの5分の1を辺長とする正方形に内接する。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は正方形の下辺両端に接する。槌の柄の長さは正方形の対角線の4分の3を占める。五芒星は、正方形の上辺に接し、旗の高さの10分の1を直径とする円に内接する。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの4分の1に等しい。旗の上辺から星の中点までの距離は、旗の高さの11分の1に等しい。
1952年12月26日から1990年8月24日までの国旗(裏面は1981年4月29日から
[ 1] )
その後、ソビエト連邦の崩壊 に際して1990年 8月23日に第12期アルメニア・ソビエト社会主義共和国最高会議は招集され、翌24日に最高会議は「アルメニア共和国」への国名改称と、「縦横比1対2で赤、青、オレンジの等幅のトリコロール 」への国旗の変更を法令により採択した[ 2] 。
1990年8月24日からのアルメニアの国旗