1929年4月30日の第2回全キルギス・ソビエト大会において採択されたキルギス自治社会主義ソビエト共和国の憲法草案の第96条では、
キルギス自治社会主義ソビエト共和国の国旗は赤(緋色)の布であり、その左上部隅には
鎌と槌の画像、そして
キルギス語と
ロシア語で
«Кирг. А.С.С.Р.» との表示を持つ。
と定められている[1]。しかし、キルギス自治共和国の憲法草案は、他の自治共和国の憲法草案と同様に全ロシア中央執行委員会(ロシア語版)の承認を受けておらず、憲法草案の記述通りに国旗が作成されたかは定かでない[1]。


1929年4月30日から1937年3月23日までの、キルギス自治社会主義ソビエト共和国の国旗
その後、1936年12月5日に採択されたスターリン憲法によってキルギス自治共和国はキルギス・ソビエト社会主義共和国へ昇格し、翌1937年3月23日の第5回臨時全キルギス・ソビエト大会において採択されたその憲法の第116条では、国旗について次のように定められた[1]。
キルギス・ソビエト社会主義共和国の国旗は
赤旗であり、その左上部隅旗竿付近に金文字で、キルギス語で上段に、ロシア語で下段に
«Киргизская ССР» と表示する。高さに対する幅の比は1:2とする。
キルギス語での国名表記を «QЬRƢЬZSTAN SSR» とする資料もあるが、中央執行委メンバーの記章デザインを考慮すると «QЬRƢЬZ SSR» であった可能性が高い[1]。


1937年3月23日から1940年までの、キルギス・ソビエト社会主義共和国の国旗
1940年にキルギス語アルファベット(ロシア語版)がラテン文字(英語版)からキリル文字へと切り替わると、国旗のキルギス語国名表記もキリル文字へと変更された[1]。

1940年から1952年12月22日までの国旗
1952年12月22日、キルギス共和国最高会議幹部会令により国旗のデザインには変更が加えられた[1]。
キルギスSSRの国旗を修正し、キルギス・ソビエト社会主義共和国の国旗を、旗の中央全幅に青い帯を配した赤旗と承認する。青い帯の幅は旗の高さの3分の1である。青い帯の中央には平行して白い帯が入り、その幅は旗の高さの20分の1である。旗の上部旗竿付近の赤い領域には、金色の
鎌と槌を、その上部に金色の縁取りを持つ
赤い五芒星を表示する。高さに対する幅の比は1:2である。
次いで1956年1月14日承認の再度の最高会議幹部会令「キルギス・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則」により、デザインについての細則が定められた[1]。この国旗は、ソ連国旗や他のソ連構成共和国の国旗に比べ、鎌と槌に対して星が大きいという特徴を持っていた[1]。
鎌と槌は辺長を旗の高さの6分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの10分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの10分の1とする。


1952年12月22日からソ連崩壊を経て1992年3月3日までの国旗(裏面は1981年から
[1])
その後、1990年12月15日にキルギス共和国は主権宣言を[1]、翌1991年8月31日に独立宣言を行ったが、1992年3月3日に新たにキルギスの国旗が制定されるまでは、1952年に制定された国旗が使用され続けていた[2]。