アル・シアーズ

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出生名 Albert Omega Sears
生誕 (1910-02-21) 1910年2月21日
アル・シアーズ
Al Sears
アル・シアーズ(1946年)
基本情報
出生名 Albert Omega Sears
生誕 (1910-02-21) 1910年2月21日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州マコーム
死没 (1990-03-23) 1990年3月23日(80歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 サクソフォーン

アル・シアーズAl Sears1910年2月21日 - 1990年3月23日[1]は、アメリカジャズテナー・サクソフォーン奏者、バンドリーダー。ビッグ・アル・シアーズの名でも知られる。

シアーズはアメリカ合衆国イリノイ州マコーム生まれ[2]。1928年、チック・ウェッブのアンサンブルでジョニー・ホッジスの後任として初めてメジャーな演奏活動を行った[2]。その後、エルマー・スノーデン(1931年-1932年)と共演し、1933年から1941年にかけては自身のグループを率いた[2]。1940年代初頭にはアンディ・カーク(1941年-1942年)、ライオネル・ハンプトン(1943年-1944年)と共演した後、1944年にベン・ウェブスターの後任としてデューク・エリントン楽団のメンバーに就任した[2]。1949年までエリントン楽団に在籍し、その後はジミー・フォレスト、そしてポール・ゴンザルヴェスが後任となった[2]。1951年から1952年にかけてはジョニー・ホッジスと共演し「Castle Rock」をレコーディングした[2]。この曲はヒットしたが、リリースはホッジス名義だった。

シアーズは、アラン・フリードがライブを行っていた当時、フリードのバンドに所属しており、そこで「ビッグ・アル・シアーズ」と紹介されていた[2]。1950年代にはR&Bのアルバムでスタジオ・ミュージシャンとして演奏し、1960年にはスウィングヴィルにて2枚のアルバムをレコーディングした。また、Arock、Serock、Gatorなど、複数のレコード・レーベルを所有していた[1]

1990年、ニューヨークのセント・オールバンズにて80歳で亡くなった[1]

リーダー・アルバム

  • Grade A Dance Music with a Swing Beat (1960年、Audio Lab)
  • Swing's the Thing (1960年、Prestige)
  • Rockin' in Rhythm (1960年、Prestige) ※The Swingville All-Stars名義 with タフト・ジョーダン、ヒルトン・ジェファーソン
  • Things Ain't What They Used to Be (1961年、Swingville)

参加アルバム

  • ミルドレッド・アンダーソン : No More in Life (1961年、Prestige)
  • アレサ・フランクリン : 『アレサ・フランクリン・ウィズ・レイ・ブライアント・コンボ』 - Aretha (1961年、Columbia)
  • アル・ヒブラー : 『アフター・ザ・ライツ・ゴー・ダウン・ロウ』 - After the Lights Go Down Low (1957年、Atlantic)
  • ジョニー・ホッジス : 『キャッスル・ロック』 - Castle Rock (1955年、Norgran)
  • ジョニー・ホッジス : In a Tender Mood (1955年、Norgan)
  • バド・ジョンソン : 『ブルース・ア・ラ・モード』 - Blues a la Mode (1958年、Felsted)
  • ジミー・ウィザースプーン : 『ゴーイン・トゥ・カンサス・シティ・ブルース』 - Goin' to Kansas City Blues (1958年、RCA Victor)

脚注

その他のソース

外部リンク

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