アル・バーリック
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審判としてメジャーリーグに関わる前はイリノイ州で炭鉱夫をしていた。1940年に史上最年少の25歳の若さでメジャーリーグに昇格する。よく通る声と判り易いジェスチャー、抗議に対する毅然とした態度がバーリックの特徴で、選手からの尊敬も高かった。まだ20代だった1942年に早くもオールスターゲームで二塁塁審を務め、以後通算7度オールスターゲームに出場している(歴代最多)。
1944年と1945年は第二次世界大戦に従軍し、沿岸警備隊に所属していた。1946年に復職した後はナショナルリーグでは1971年まで審判職を務めた。在職期間は述べ31年になる。他にも、審判員組合の活動を積極的に行い、待遇改善と技術の向上にも努めていたという。なお1968年には、日米野球のためセントルイス・カージナルスに同行し来日も果たしている。
審判職引退後は、22年の間ナショナルリーグの顧問を務めていた。1995年に心臓発作のため生まれ故郷のイリノイ州で死去。
