ダグ・ハーヴェイ (審判員)

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ダグ・ハーヴェイ(2011年殿堂入り表彰パレードにて)

ダグ・ハーヴェイ(Harold Douglas Harvey、1930年3月13日 - 2018年1月13日[1])は、メジャーリーグベースボールの元審判員米国カリフォルニア州サウスゲート生まれ。1960年~1980年代を中心に31年間メジャーリーグ審判を務めた。2009年にアメリカ野球殿堂入りの審判員に選出された。

ハーヴェイは、16歳で地元高校のバスケットボールの審判を始め、後に野球やソフトボールの審判もするようになっていた。1955年から2年間サンディエゴ州立大学に通い、野球やフットボールのプレイヤーと並行して、マイナーリーグ審判員も行っていた。1958年から3年間のカリフォルニア・リーグでの経歴ののち、1961年にパシフィックコーストリーグに昇格、翌1962年にメジャーリーグに昇格した。メジャーリーグ昇格の際、後に殿堂入りとなるアル・バーリックジョッコ・コンランシャグ・クロフォードらのアドバイスは、ハーヴェイに大きな影響を与えた。バーリックはルールの理解を促し、コンランは審判職に楽しみを見出すことを助け、クロフォードからは審判職の哲学を教わったそうである。ちなみに彼は、審判学校に通うこと無くメジャーリーグの審判員になった最後の審判である。

30代で既にハーヴェイは髪の毛のほとんどが銀髪で、「シルバー」というニックネームがつくほど特徴的な面持ちだったのだが、1971年シーズンにはカイゼル髭まで蓄えて登場したことがある。現役当時は多くの選手の尊敬を集めていたそうだが、ハーヴェイ自身は審判職について「何年も人々は、審判の仕事を郵便配達をやっているように見てきたと思うが、審判員とは『必要悪』なのさ。猛獣の気性と同じだ」と公言していた。

ハーヴェイは65歳まで現役を続けるつもりだったそうだが、膝の故障のため1992年、62歳で退職した。出場試合数は引退当時歴代3位の記録だった。現役時代から長く噛み煙草を使っていたが、引退後の1997年に口腔癌を発症し、それ以降は噛み煙草の危険性を訴える活動をするようになった。21世紀になって、2003年と2007年にアメリカ野球殿堂の殿堂入り選考の候補となったが、いずれの年もわずかに得票が足りず選出されなかった。その後2009年12月の投票で殿堂入りが決定した。

2018年1月13日、87歳で死去[1][2]

審判歴

メジャーリーグ在籍:1962年~1992年

  • 出場試合数:
    • レギュラーシーズン:4673試合
    • リーグチャンピオンシップ:38試合(1970,1972,1976,1980,1983,1984,1986,1989,1991年)
    • ワールドリシーズ:28試合(1968,1974,1981,1984,1988年)
    • オールスターゲーム:6試合(1963,1964,1971,1977,1982,1992年)

在職中の出来事

脚注

外部リンク

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