アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフ
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サンクトペテルブルクで生まれた。父親のイワン・モロゾフ()はあま有名でない画家であった。1851年に帝国芸術アカデミーに入学し、新古典派の画家アレクセイ・タラソヴィチ・マルコフに学んだ[2]。1861年にアカデミーで金メダルを受賞したが、1863年にイワン・クラムスコイ(1837-1887)らと美術アカデミーに抗議してコンテストへの参加を辞退する「14人の反乱(Бунт четырнадцати)」の参加者になり、サンクトペテルブルクのフィンランド湾のワシリエフスキー島に集まった芸術家グループ「(サンクトペテルブルク)芸術家共同組合(Петербургская артель художников)のメンバーになった。
1874年から亡くなるまで、サンクトペテルブルクの公務員養成のための学校「帝国法学学校(Императорское училище правоведения)」などで絵を教えた[3]。
「移動派」の展覧会に定期的に参加したが、「移動派」の画家たちとの意見の相違があり、正式に会員になることはなかった。1873年のウィーン万国博覧会や1878年のパリ万国博覧会などの展覧会にも出展した[2]。
1904年にサンクトペテルブルクで亡くなった。