アレクサンドル・ヴォロージン
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ヴォロージンはサンクトペテルブルクに居住していた。
アレクサンドル・ヴォロージンの両親は弾圧された。彼は母親が逮捕前に彼を連れて行くことができたモスクワで育った。その後1953年、17歳でフィンランド語専攻としてサンクトペテルブルク大学に入学し、1958年まででフィン・ウゴル語派の言語を研究した。大学卒業後、配属によりパルプ・紙産業中央研究所で翻訳者として働き、その後偶然、フィンランド語を使うことができた妻ゾーヤ・テスレンコ(Зоя Тесленко)が面接に招かれていた言語学研究所レニングラード支部(現在のロシア科学アカデミー言語研究所)に就職した。彼女はその職場を気に入らず、代わりに夫がそこに入ることを提案した。1961年からソ連邦科学アカデミー言語研究所で働き、カムチャッカの危機に瀕した言語であるイテリメン語を専門とした。彼は1980年に«Ительменский язык: фонология, морфология, диалектология, проблема генетической принадлежности»(イテリメン語:音韻論、形態論、方言学、系統的所属の問題)で博士号を取得し、2005年から2017年までサンクトペテルブルクのヘルツェン大学で教授として勤務するとともに、ロシア科学アカデミー(RAN)言語研究所(Institute of Language Research: ILI)にも所属した。
ヴォロージンは、約190本の学術および教育論文と教科書、ならびに12冊の学術単行本を出版した。彼はカムチャッカに10回の探検およびロシア北極のナリヤン・マル地域でネネツ族の居住地域に2回、チュクチ半島に1回遠征に参加し、そこでケレク族とイテリメン族の言語と文化を研究した。
ヴォロージンの指導のもと、フィンランド語、ネネツ語、ハンティ語、ガナサン語、ハンガリー語、ウドムルト語、セリクプ語(以上フィン・ウゴル語派)、チュクチ語を研究した12名の大学院生が候補資格論文を擁護した。指導教員としてはロシア科学アカデミー言語研究所だけでなく、北方民族研究所およびトムスク国立教育大学でも働いた。
趣味として、ヴォロージンは歴史小説を書き、それに挿絵を描いた。最初の5巻からなる小説 «Королева Жанна»(女王ジャンヌは1994年にニド・オロフ(Нид Олов)という筆名で出版された。