アレクサ・スターリング
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1919年頃撮影 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 名前 | アレクサ・スターリング |
| 国籍 |
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| 出生地 |
ジョージア州アトランタ |
| 配偶者 | Dr. Wilbert G. Fraser |
| 子供 | 3 |
| 経歴 | |
| status | Amateur |
| 受賞 | |
| ジョージア スポーツ殿堂 | 1978 |
| カナダゴルフ殿堂 | 1986 |
| ジョージア ゴルフ殿堂 | 1989 |
アレクサ・スターリング=フレーザー(Alexa Stirling Fraser、1897年9月5日 - 1977年4月15日)はアメリカ系カナダ人のアマチュアゴルフプレーヤー。1916年、1919年、1920年の全米女子アマチュア選手権に優勝した。1920年と1934年のカナディアン女子アマチュア選手権にも優勝している。
アレクサンダー・W・スターリング博士とノラ・ブロムリー=スターリングの娘として米国ジョージア州アトランタで出生[1]。
幼少よりアトランタアスレチッククラブのイーストレークゴルフクラブコースで、スコットランドのカーヌスティ出身のクラブプロであるスチュワート・メイデンからゴルフを習った。1911年の5月11日、女子南部ゴルフ協会選手権 (Women's Southern Golf Association championship) では最高スコアで予選通過を果たした。この時まだ13歳だった[2]。
全米女子アマを3連覇(第一次世界大戦のため大会がなかった1917年と1918年を挟み1916年から1920年にかけての3連続優勝)したことで若い天才ゴルファーとしての名声を築いていった。南部出身の若いゴルファーのグループ(ディキシーキッズ、"Dixie Kids" と呼ばれた)の一人に数えられたが、このグループにはボビー・ジョーンズ[1]、エレイン・ローゼンタール、ペリー・アデアなどがおり、彼らと全米中を回ってゴルフエキジビションを行い、収益を赤十字に寄付した。ドルードヒルズゴルフクラブのプロだったジェームズ・ダグラス・エドガーも友達で、ゴルフのレッスンを受けた[1]。また、アレクサはバイオリンが上手で[3]、7歳のときには公衆の前でソロ演奏をしていたという[4]。
成績

第一次大戦終了後の1919年に再開された全米女子アマに優勝、翌1920年にも優勝した。1921年はマリオン・ホリンズに敗れ準優勝、1923年はイーディス・カミングスに敗れ再び準優勝、さらに1925年には予選でドロシー・キャンベルの記録を破るシングルラウンドのスコア記録を達成したが本選決勝でグレナ・コレットに敗れてしまった。また、1927年には決勝まで進めなかったが3回戦で全英女子アマ優勝者であるシモンヌ・デラショームに勝利した。
全米女子アマチュア選手権
1916年、1919年、1920年の3回優勝。
カナディアン女子アマチュア選手権
1920年のカナディアン女子アマに優勝、翌21年と25年には準優勝し、1934年に再びチャンピオンに返り咲いた。1925年にはカナダ人医師のウィルバート・G・フレーザーと結婚、カナダオンタリオ州オタワに居を構え、ロイヤルオタワゴルフクラブの名誉会員となり、このゴルフ場の女子選手権では9回優勝した。
