1830年侯爵令嬢イレーネ・パラヴィチーニ(1811年 - 1877年)と結婚したが、間に子は生まれなかった。
60歳の時、愛人パウリーネ・オスヴァルト(1851年 - 1902年)との間に一人娘のソフィー(1868年 - 1952年)をもうけた。
最初の妻イレーネが死去して半年後にパウリーネと再婚し、娘を嫡出子としてフォン・アルコ=シュテッペルク伯爵(夫人)の称号を名乗らせた。ソフィーはシュテッペルクの所領を相続した。彼女は1890年フランス系移民の血を引くエルンスト・フォン・モイ・ド・ソン伯爵(1860年 - 1922年)に嫁いだ。シュテッペルク城は現在に至るまで夫婦の子孫モイ家の所有となっている。