イレーネ・パラヴィチーニ

From Wikipedia, the free encyclopedia

シュティーラーの描いたアルコ伯爵夫人、1834年

イレーネ・マリア・パラヴィチーニIrene Maria Markgräfin Pallavicini, 1811年9月2日 アルギョー英語版 - 1877年1月31日 ウィーン)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の貴族女性。バイエルン王ルートヴィヒ1世は宮廷画家ヨーゼフ・カール・シュティーラーに命じて美人画ギャラリー英語版に彼女の肖像を加えた[1][2]

エドゥアルト・パラヴィチーニ侯爵(1787年 - 1839年)とその妻の伯爵令嬢ヨゼフィーネ・フォン・ハルデッグ=グラーツ(1784年 - 1850年)の間の第3子・長女[3]。5人の男兄弟がいる。家系を11世紀に遡るイタリアの名門パラヴィチーニ家英語版のジェノヴァ系統に属するが、祖父カール・パラヴィチーニドイツ語版の代にハンガリーに移住した。父は1803年ハンガリー・ボヘミア・モラヴィアの貴族籍を取得して帰化し、所領に家族世襲財産を設定した[4]。1830年、バイエルン貴族のアロイス・フォン・アルコ=シュテッペルク伯爵と結婚し、主にザルツブルク郊外のアニフ城英語版で暮らした。夫との間に子はおらず、愛妾を囲い庶子をもうけた夫とは後に法的に別居したが、離婚には至らなかった[5]。在トルコ大使ヤーノシュ・パラヴィチーニドイツ語版、登山家アルフレート・パラヴィチーニドイツ語版は甥にあたる。

シュティーラー作の肖像画において、アルコ伯爵夫人は同じくギャラリーのモデルとなったエッティンゲン=ヴァラーシュライン侯夫人クレセンティアの肖像画(1833年制作開始)と同じデザインのドレスを着ているが、変わった形のヘア・オーナメントを挿し、宝石をちりばめたバックルのついたベルトを締めていることで差異化されている[6]

Related Articles

Wikiwand AI