アンガーミュンデ
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ブランデンブルク州 |
| 郡: | ウッカーマルク郡 |
| 緯度経度: | 北緯53度01分04秒 東経14度00分15秒 / 北緯53.01778度 東経14.00417度 |
| 標高: | 海抜 50 m |
| 面積: | 326.44 km² |
| 人口: |
13,775人(2023年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 42人/km² |
| 郵便番号: | 16278 |
| 市外局番: | 03331 |
| ナンバープレート: | UM |
| 自治体コード: | 12 0 73 008 |
| 地区数: | 23 地区 |
| 行政庁舎の住所: | Markt 24 16278 Angermünde |
| ウェブサイト: | www.angermuende.de |
| 首長: | ヴォルフガング・クラコウ (Wolfgang Krakow, SPD) |
| 郡内の位置 | |
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アンガーミュンデ(Angermünde, ドイツ語発音: [aŋɐˈmʏndə], アンゲルミュンデとも)はドイツ連邦共和国東部のブランデンブルク州、ウッカーマルク郡にある市である。ベルリンから北東に 70 km ほど、ミュンデ湖のほとりにある。アンガーミュンデ駅はベルリン-シュチェチン線の主要駅となっており、プレンツラウ、バート・フライエンヴァルデ (オーダー)、シュヴェート/オーダーへと路線が伸びている。
歴史
- 11世紀前半、アンガーミュンデは貿易の要衝であった。1210年から20年間、城主はドイツから入植を受け入れて街の守りを強化し、街で最初の石造りの教会(聖マリア教会、Marienkirche)が1210年に建設された。
- 1254年、ブランデンブルク辺境伯ヨハン・オットー III 世により、都市権が与えられる[2]。
- 1245年から1250年にかけて、最初のレンガ造りの教会であるフランシスコ教会 (Franziskaner-Klosterkirche Peter und Paul)が建設される。
- 1313年、ブランデンブルク=シュテンダール辺境伯ヴァルデマールにより治水権が移転される[3]。
- 1420年、アンガーミュンデの戦いにおいて、ブランデンブルク軍がポンメルン軍を破る。
- 1817年、ウッカーマルク郡に所属する町となる。
- 1838年、ドイツ全土で発生したヘプヘプ・ポグロムによりシナゴーグやユダヤ人墓地が破壊される。
- 1842年、シュテティーン鉄道のベルリン - アンガーミュンデ間が開通。
- 1945年、二次大戦末期、ドイツ国防軍の脱走兵が絞首刑に処された。その後のソヴィエト赤軍の侵攻に際して、戦闘を避け折衝を行った後に降伏。そのため市街地は破壊を免れている。
ギャラリー
- アンガーミュンデの建築物
- アルトキュンケンドルフ地区の、フリードリヒ・アウグスト・シュテューラーの手による教会
- シュミーデベルク地区の近代風のフォアラウベンハウス(四阿部分を持つ建物)
- シュミーデベルク地区のフォアラウベンハウス
- ヘルツシュプルング地区の戦争記念碑
- ヘルツシュプルング地区の教会
- 粉屋の塔 (Pulverturm)
- 聖精霊礼拝堂 (Heilig-Geist-Kapelle)
- マルティン教会 (Evangelisch-Lutherische Martinskirche)
- 聖マリア教会、西構
- コーラス席から見た聖マリア教会の内部(奥に有名なオルガン[4]が見える)
- マルクト広場とクリスティアン・ウーリヒによる彫刻
- 市庁舎とマルクト広場
- 市庁舎とマルクト広場
- マルクト広場の彫刻
- マルクト広場の彫刻
- 近辺の観光地
- アンガーミュンデのミュンデ湖
- 市を囲む城壁
- 彫刻を配置してあるミュンデ湖の散策道
- 近隣の丘陵地にある遺跡
