アントニオ・リナルディ (画家)
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スイスでイタリア語を公用語とするティチーノ州の村トレモナ(Tremona)の裕福な家庭に生まれた。13歳の時からイタリアのミラノのブレラ美術アカデミーで歴史画家のルイージ・サバテッリに学んだ。同時期の学生にはティチーノ州出身の彫刻家、ヴィンチェンツォ・ヴェラがいた。1841年に卒業し、歴史画の「ラファエロとフォルナリーナ」を卒業作品としてアカデミーで発表した。 1843年に別の歴史画でブレラ美術アカデミーのコンクールに参加したが, ケルビーノ・コルニエンティ(Cherubino Cornienti: 1816-1860)に敗れた。1844年にアカデミーに出展した後[1]、1846年に結婚し[2]、カール・アウグスト・リナー、リナルディは故郷のトレモナに戻った。1850年のトレモナの村の住民人口は293人であった[3]。そこで家族と残りの人生を過ごし、故郷をほとんど離れなかった。ティチーノ州のアルツォ(Arzo)の教会(Chiesa dei Santi Nazario e Celso)や、バレルナ(Balerna)の教会(Chiesa di San Giovanni Battista e della Vergine)、メンドロシオ(Mendrisio)の教会(Chiesa dei Santi Cosma e Damiano他)などの壁画を描き、肖像画も描いた。
1875年にトレモナで亡くなった。リナルディが一般に知られるようになるのは、1926年にメンドリシオット(Mendrisiotto)に住んでいた家族が集めた絵画や素描の展覧会がルガーノの催事会場ヴィラ・チアーニ(Villa Ciani)で開催された後とされる[4]。