ヴィンチェンツォ・ヴェラ

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生誕 (1820-05-03) 1820年5月3日
スイス、リゴルネット(Ligornetto)
死没 1891年10月3日(1891-10-03)(71歳没)
スイス、リゴルネット
ヴィンチェンツォ・ヴェラ
Vincenzo Vela
1880年のヴィンチェンツォ・ヴェラ
生誕 (1820-05-03) 1820年5月3日
スイス、リゴルネット(Ligornetto)
死没 1891年10月3日(1891-10-03)(71歳没)
スイス、リゴルネット
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ヴィンチェンツォ・ヴェラ作「ナポレオン1世の最期」(1866)、ヴェルサイユ宮殿

ヴィンチェンツォ・ヴェラ(Vincenzo Vela、1820年5月3日 - 1891年10月3日)は、スイス生まれの彫刻家である。主にミラノトリノで活動し、国際的に評価された彫刻家となった。

スイスのイタリア語圏であるティチーノ州のリゴルネット(Ligornetto、現在はMendrisio市の一部)という村の農家に生まれた[1]。9歳の時からベサツィオ(Besazio)の採石場で石工の技術を学んだ[2]。兄のロレンツォ・ヴェラ(Lorenzo Vela: 1812-1897)は1832年からイタリア、ミラノのブレラ美術アカデミーで彫刻を学んでいて、弟の才能を見抜き、ヴィンチェンツォ・ヴェラは1833年ころにミラノで修行を始めた。1835年にブレラ美術アカデミーに入学し、フェルディナンド・アルベルトリ、フランチェスコ・デュレッリ、ルイジ・サバテッリ、ポンペオ・マルケージ、ベネデット・カッチャトーリらに学び、同時期のアカデミーの学生にはジュゼッペ・ベルティーニや、ジョヴァンニ・ストラッツァ(Giovanni Strazza)、ピエトロ・マーニらがいた。

画家のフランチェスコ・アイエツ(1791-1882)や彫刻家のロレンツォ・バルトリーニ(1777-1850)から影響を受けて、古典的なスタイルから写実的なスタイルに移り、アカデミーでいくつかの賞を受賞し、1842年にレリーフ作品でヴェネツィア美術アカデミーの展覧会で金メダルを受賞した。この成功で有名になり、多くの注文を受けるようになり、1844年にアカデミーを卒業して彫刻家として独立した。

ミラノで活動し、貴族やミラノの富裕層から多くの注文を受けた。熱心な共和主義者で、ローマで数週間学んだ後、1847年に、スイスの保守派カントンがスイスからの分裂を防ぐために結成された アンリ・デュフール将軍の軍隊に志願し、分離同盟戦争に参加した。1848年には、オーストリア支配からのロンバルディア地方の解放を目指したアントニオ・アルチオーニ将軍(Antonio Arcioni)の下で、ロンバルディア独立戦争に参加し、オーストリア支配に対するコモで起きた蜂起にも参加した。その後、ミラノに戻り、愛国的な主題の彫刻を制作しブレラ美術アカデミーの年次展覧会やロンドン万国博覧会に出展して話題となった。1852年に、ヴェラはブレラ美術アカデミーの会員に選ばれるが、オーストリア貴族がアカデミーの名誉会員であることなどに反発したためか、会員になることを拒否した。当局はこれを挑発的な行動と解釈したため、ロンバルド・ヴェネト王国からの追放処分を受け、1852年7月にスイスの故郷に戻った。

1853年2月に、当時サルデーニャ王国であったトリノアッカデミア・アルベルティーナの教員に招かれ、1866年までトリノで活動した。ヴィンチェンツォ・ヴェラが教えた彫刻家にはガブリエーレ・アンブロジオ(Gabriele Ambrosio)がいる。1867年にブレラ美術アカデミーで指導したオドアルド・タバッキ(Odoardo Tabacchi)に教授職を譲った。この間ヨーロッパ各地のモニュメントを制作した。1867年のパリ万国博覧会に『ナポレオン1世の最期(Gli ultimi giorni di Napoleone I)』を出展し、評判になり、ナポレオン3世に買い上げられ、ヴェルサイユ宮殿に設置された。

1862年からスイス、リゴルネットに別荘、アトリエを建築し、1867年からそこに住んだ。1868年からこの屋敷は私設美術館として公開された。1891年まで各地のモニュメントを制作した。1877年からはスイス、ティチーノ州州大評議会の議員などの公職も務めた。

1892年にリゴルネットで亡くなった[3]

1853年2月にサビナ・ヴェラ=ドラゴニ(Sabina Vela-Dragoni: 1822-1892)と結婚し、息子のスパルタコ・ヴェラ(Spartaco Vela: 1854-1895)は画家になった。リゴルネットの邸や作品はスイス政府に遺贈されヴィンチェンツォ・ヴェラ美術館(Museo Vincenzo Vela)となった。

作品

脚注

参考文献

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