フィラデルフィアで生まれた。父親のジェイムズ・ピール(1749-1831)も肖像画家、ミニアチュール画家であった。叔父のチャールズ・ウィルソン・ピール(1741-1827)は彫刻家のウイリアム・ラッシュ(William Rush: 1756–1833)らとアメリカ最初の美術アカデミーであるペンシルベニア美術アカデミーを創立した有力な画家で、チャールズの息子には、画家になったラファエル・ピール(1774-1825)や博物画家になったティティアン・ピール(1799-1885)らがいた。妹のマーガレッタ・アンジェリカ・ピール(1795-1882)とサラ・ミリアム・ピール(1800-1885)も画家になった。
父親から肖像画を学び、生き生きとした肖像画を描くことができるようになり[2] 、叔父のチャールズ・ウィルソン・ピールのもとでも修行を続けた。5年ほど父親の助手を務めた後、16歳ころから独立して作品を描くようになり[3]、1810年ころから、母親の旧姓でミドルネームのクールプールのイニシャルを作品の署名に加えた[3]。1817年から 1818年にかけて、画家として最も人気がある時期であった。アンナ・クールプール・ピールが肖像画を描いた人物にはジェームズ・モンロー大統領やアンドリュー・ジャクソン大統領、リチャード・メンター・ジョンソン上院議員らがいた。
1824年に、妹のサラ・ミリアム・ピールとともに、ペンシルバニア美術アカデミーのアカデミー会員に女性として初めて選出された[4]。
1829年8月27日にウィリアム・ストートン(William Staughton)という人物と結婚したが、その年のうちに夫は死去した。夫の死後、フィラデルフィアで肖像画家として働き、11年後の1841年に軍人のウィリアム・ダンカン(William Duncan)と結婚し、画家の仕事から引退した。
1878年にフィラデルフィアで没した。子供はいなかった。