アンリ・ルロール
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パリで裕福なブルジョアの家に生まれた。兄のポール・ルロール(Paul Lerolle: 1846-1912)は有力な政治家になった。アンリ・ルロールはパリの私立美術学校のアカデミー・シュイスで学び、パリ国立高等美術学校でルイ・ラモートに学んだ。ラモートの工房ではエドガー・ドガやジェームズ・ティソが学んだいた。アカデミック美術、オリエンタリズムのスタイルの画家となり、1868年、1885年、1895年のパリのサロンに作品が受理され展示された。1889年にはパリ市庁舎の装飾画を制作し、ソルボンヌ大学やサン=マルタン=デ=シャン教会(Prieuré Saint-Martin-des-Champs)の装飾画も制作した。
エドガー・ドガやクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、モーリス・ドニ、ギュスターヴ・モロー、アルベール・ベナールといった画家たちと親交があり、パトロンにもなった。画家たちの多くの作品を購入し、ルノワールやコローの作品を含む美術品コレクションを作り上げた[1]。ヴァイオリニストのマドレーヌ・エスクディエ(Madeleine Escudier)と結婚した。妻は作曲家のエルネスト・ショーソンの義理の妹で、有名な音楽家たちともルロールは友人になった[2]。ルロールや妻、娘のクリスティーヌやイヴォンヌたちはルノワールやドガ、ドニ、ファンタン=ラトゥール、ベナールなどの作品にしばしば描かれた。
1889年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した[3]。
1929年にパリで亡くなった。ルロールの美術品コレクションはルロールの死後、アメリカ合衆国に渡った。息子のギヨーム・ルロール(Guillaume Lerolle: 1884-1954)は1930年代にピッツバーグのカーネギー美術館の館長になった。