アーサー・ダニエル・ベリー
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アメリカ合衆国ニューヨーク州メキシコ生まれ。1892年に地元のハイスクールを卒業したのち[1]、シラキュース大学とドルー神学校で学び、1899年に按手礼を受けた[2]。
1902年(明治35年)に来日し、福岡と門司で伝道したのち[2]1905年(明治38年)に青山学院の教員となり、組織神学・礼拝学・説教学を講じた[3]。3年後ジュリアス・ソーパーの後任の神学部長となり[1]、1931年(昭和6年)まで務めた[2]。1914年(大正3年)関西学院神学部と協力して学術雑誌『神学評論』を創刊[2]。翌年シラキュース大学から名誉博士号を授与された[1]。
1923年(大正12年)に院長代理を兼ね、関東大震災後の青山学院再建に尽力した[4]。1931年(昭和6年)に建てられた神学部校舎は彼の名にちなんで「ベリーホール」と命名された[5]。
日米関係が日増しに悪化する中でも日本滞在を望んだが、妹の病のため1941年(昭和16年)1月に離日。妹は船中で死去し、彼もアメリカに帰国してまもなく病に倒れ、故郷ニューヨークの地で没した[3]。
