アーチボルド・ダグラス (第8代クイーンズベリー侯爵)
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第7代クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスと妻サラ(Sarah、旧姓ダグラス(Douglas)、1864年11月13日没、ジェームズ・ショルト・ダグラスの娘)の息子として、1818年4月18日に生まれた[2]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1837年12月26日、エンサイン(歩兵少尉)としての辞令を購入して、第92歩兵連隊に配属された[3]。1838年7月27日、コルネット(騎兵少尉)としての辞令を購入して、ライフガーズ第2連隊に転じた[4]。1844年1月、陸軍から引退した[5]。
クリケット選手であり、1841年にメリルボーン・クリケット・クラブに所属した[6]。
1847年イギリス総選挙でダンフリーズシャー選挙区から出馬して無投票で当選、1852年イギリス総選挙でも無投票で再選した[7]。1850年8月31日にダンフリーズ統監に任命され、1858年3月18日までに辞任した[8][9][10]。1853年1月4日に王室監査官に任命され[11]、同年2月7日に枢密顧問官に就任した[12]。その後、1856年7月までに王室監査官を辞任した[13]。政治家として保守党所属とも[7]、ピール派所属ともされる[1]。
1856年12月19日に父が死去すると、クイーンズベリー侯爵位を継承した[2]。
1858年8月6日、ダンフリーズシャーのキンマウントで銃の暴発により死去した[2]。自殺説もあり、『バーク貴族名鑑』2003年版では事故かどうかが不明だとしている[1]。長男ジョン・ショルトが爵位を継承した[2]。