アーネット・コブ

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出生名 Arnette Cleophus Cobbs
生誕 (1918-08-10) 1918年8月10日
死没 (1989-03-24) 1989年3月24日(70歳没)
アーネット・コブ
Arnett Cobb
アーネット・コブ(1979年)
基本情報
出生名 Arnette Cleophus Cobbs
生誕 (1918-08-10) 1918年8月10日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン
死没 (1989-03-24) 1989年3月24日(70歳没)
ジャンル ジャズスウィング・ジャズブルース
職業 ミュージシャン
担当楽器 テナー・サクソフォーン
コブ(右)とライオネル・ハンプトン c. June 1946
写真: ウィリアム・ゴットリーブ

アーネット・コブArnett Cobb1918年8月10日 - 1989年3月24日[1]は、アメリカのテナー・サックス奏者であり、抑制のきかないストンピング・スタイルから「テナー・サックスのワイルド・マン」として知られてもいた。コブはジャズ・スタンダード「Smooth Sailing」(1951年)の歌詞と音楽を書き、エラ・フィッツジェラルドはこれをデッカからのアルバム『ララバイズ・オブ・バードランド』に収録した。

テキサス州ヒューストンで生まれ[1]、祖母からピアノを習い、高校のバンドでテナー・サックスを始める以前にはヴァイオリンを学んでいた。15歳のときにルイジアナでフランク・デイヴィスがバンドリーダーを務めるバンドに参加し、夏の間はヒューストンとルイジアナ各所でショーを行った[2]

コブは、1934年から1936年まではトランペッターのチェスター・ブーンのローカル・バンドで音楽活動を続け、1936年から1942年まではミルト・ラーキン (フロイド・レイとの西海岸での期間を含む) で音楽活動を続けた。ラーキン・バンドにおける彼のバンドメイトの中には、イリノイ・ジャケーエディ・"クリーンヘッド"・ヴィンソン、トム・アルチア、セドリック・ヘイウッド、ワイルド・ビル・デイヴィスがいた[3]。1939年にカウント・ベイシーからのオファーを断ったコブは、1942年にライオネル・ハンプトンのバンドへジャケーと入れ代わりで加入し、1947年までハンプトンの元に留まった。ハンプトンのテーマ・ソングである「フライング・ホーム No. 2」におけるコブのフィーチャーされたソロは聴衆に多くの興奮を引き起こし、その爆発的なスタイルが、彼に「テナー・サックスのワイルド・マン」という呼び名を与えた[2]

その後、コブは自らが率いる7人編成のバンドを始めたが、1950年に深刻な病にかかり、脊椎手術が必要となった。回復するとバンドを再結成したが、1956年に再び自動車事故によってその成功の過程は中断された。この事故が彼の健康に長期的な影響を及ぼし、入院期間を含み、永久に松葉杖を必要とするようになってしまった[4]。それにもかかわらず、コブは1970年代から1980年代にかけて、アメリカおよび海外でソリストとして活動した。1988年まで、ヨーロッパでジミー・ヒースジョー・ヘンダーソンと共演した[4]

彼は、1989年に生まれ故郷のヒューストンにて70歳で亡くなった[1]

ディスコグラフィー

脚注

外部リンク

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